広場・ヤマギシズム

ヤマギシズム運動、山岸巳代蔵、実顕地、ヤマギシ会などに関連した広場

◎吉田光男『わくらばの記』(10)

わくらばの記 ごまめの戯言②

〈7月×日〉

 白川静さんの『孔子伝』読了。2回目だが、やはりすごい作品だ。私は『論語』というものが、あまり好きではない。その道学的雰囲気が好きになれないのだ。しかし、白川さんによって孔子の姿が生き生きと蘇り、社会に受け入れられずに諸国を放浪し、放浪の中でなお自己の思想を確立してゆく孔子の姿が浮かび上がってくると、何か厳粛な気持ちにさせられる。と同時に、思想が思想として成立する条件が、孔子晩年の流浪の中にあったことが納得できる。

 しかし、弟子たちが体制に巻き込まれ、体制のイデオローグと化していくことで、道徳としての『論語』が成立する。孔子自身は、一字も自分で文書は残さなかったという。不遇や失意を潜り抜けること無しに、思想は成立しないのかもしれない。

 この『孔子伝』に関して晩年の高橋和巳さんが書き残した一文は、忘れがたい。

「立命館大学で中国文学を研究されるS教授の研究室は、京都大学と紛争の期間をほぼ等しくする立命館大学の全期間中、全学封鎖の際も、研究室のある建物の一時的封鎖の際も、それまでと全く同様、午後11時まで煌々と電気がついていて、地味な研究に励まれ続けていると聞く。団交ののちの疲れにも研究室にもどり、ある事件があってS教授が学生に鉄パイプで頭を殴られた翌日も、やはり研究室には夜おそくまで蛍光灯がともった。」(『わが解体』)

 S教授、つまり白川さんは、このときちょうど『孔子伝』を執筆中であったらしい。白川さんは、本書の「文庫版あとがき」に次のような一文を記している。

「孔子は最も狂者を愛した人である。『狂者は進みて取る』ものであり、『直なる者』である。邪悪なるものと闘うためには、一種の異常さを必要とするもので、狂気こそが変革の原動力でありうる」

 多くの知識人が右往左往した60年代後半から70年代にかけての動乱の時代に、金石文を始めとする中国古代文字の解明に力を注ぎ、そこから古代人の心性や祭祀の意味を明らかにした白川さんは、まさに「狂気の人」と言いうるかもしれない。いい加減に暮らしてきた自分には、はるか遠くに聳える山脈に見える。

 

〈7月×日〉

 昨日の診断結果――

 がんマーカーの数値上昇。CT検査では、肝臓への転移が認められるとのこと。寿命は50%生存率があと1年というご託宣であった。

 あと1年とすると、その間どうあったらいいか、何をしておくことなのか。今のところ、思いつくことは何もない。

 三人の姪たちには、一応知らせておいた方がいいのかもしれないと思ったりもする。子どもたち一家は、ひろみの呼びかけで近々集まって話し合うという。 

 窓の外に植えたグリーカーテン用のゴーヤが実をつけ始めた。収穫を目当ての作物と違って、こんな鉢植えのものでも立派に成長して実をつけるので感心してしまう。まさに生命のたくましさ、すばらしさ、またそこに生命のいとおしさも感じさせられる。

 

〈7月×日〉

 Kさん来る。明日は息子夫婦と共に、私たち夫婦の今後について話し合うとのこと。

 〈7月×日〉

 選挙結果が出た。自公の圧勝。改憲が日程に上った。あきらめに似た感じになる。歴史に学ぶことのない民族は、亡びるよりないのかもしれない。

 

 〈7月×日〉

 軽い吐き気のようなものがあり、この2日ほど抗がん剤をやめている。今朝もやめた。 少し散歩する。足が疲れた。足腰が衰えたか。

 昨日、一志からMさんが来て、話をした。2000年来の一志での全研の話を聞いて、納得できるところもあった。それまで否定的に扱われていた個の尊重を、あの全員参加の研鑽によって見直したというのである。私も話を聞くまでそのことに気づかなかった。しかしその昔、ソクラテスを死刑に付した古代ギリシャの全市民参加の直接民主主義も、或いはヒトラー独裁を導いたワイマール民主主義も、個が尊重される社会での出来事であった。全員参加の研鑽会から、次に何を導き出すか、そしてまた公的な生き方とは何かを考える次のステップが欲しかった。

 

 〈7月×日〉

 フランスのニースでのテロ、昨日はまたトルコで軍のクーデターがあった。クーデターは失敗に終わったとはいえ、歴史の流れは大きな変わり目に来ている。

 1945年、第二次大戦後つづいてきた比較的平和な、成長と安定の時代は、これから急速な変化の時代に入るであろう。どこへ向かうのかはわからないが、世界各地で混乱が起こり、広がるものと思われる。お金の面ではますますグローバル化が進み、民族間、宗教間、国家間では対立が深まる。そして、社会には所得差が拡がって、持てるものと持たざるものとの対立が激化する。

 この流れから身をかわすことはできない。しかし、先は見えないし、どうすべきかもわからない。とにかく、目を大きく開けて、この動きを冷静に見つめる以外にない。

  

〈7月×日〉

 Mさんからもらった鈴鹿の『asone 一つの社会』を読み始める。納得できるところ、同調できるところはたくさんある。しかし、やはり疑問は残る。それも根本的な疑問である。疑問というのは、「もともと」とか「本来」という言葉で言い表される中身だ。

「人間本来の姿=幸福」

「病気のない健康体であることが本来の姿」

「生まれて間もない赤ちゃんは……人間本来の姿」

「もともと安心安定」「無いのが本当」

「スタートが一つ。最初から一つ」

 これまで実顕地で言われてきたことと、それほど変わらない。それをやさしく、わかりやすい言葉で解説している。

 しかし最近私は、この「本来」「もともと」という言葉に、強い疑念を持つようになった。この言葉は、「真理」と同じ意味で使われているから、もしこの言葉に疑問を出そうとすれば、「お前は真理に楯突くのか」と言われそうで、「はっ、はあっ」とひれ伏す以外になくなってしまう。しかし、「真理」と「人間が真理と考えるもの」とははっきり違うものであり、「人間の考える真理」はあくまで頭の中の存在であって、それは真理であるかもしれないし、真理でないかもしれない。いわば、真理という実像に対して、「真理と考えるもの」は仮像にすぎない。この仮像をもって「本当」とし、これをすべての物事の原点としてしまえば、自分の今の姿、実態との開きを何によって埋めるか、そこにうそ偽りが入り込む余地が生じないだろうか。2000年以来、私がもっとも苦しんできた問題は、そこにあった。私はいま「本来」も「もともと」も棚上げして、自分のあるがままの姿を見つめ直すことに重点を置いている。

「真理とされるもの」から出発する思想は、一種の原理主義になりうる。だから鈴鹿を離れた人は、「スタートが一つ、最初から一つ」の出発点から外れた人、「最初から一つではなかった人なのだ」と切り捨てられることになる。

 私には、鈴鹿にも、鈴鹿を離れた人にも、何人かの親しい友人・知人がいる。みんなそれぞれが、人々の幸せを願い、何らかの活動をしている。何が真の幸せに結びつくのかはわからないが、それぞれの生き方は尊重したいと思っている。だから、このような疑問や異論を提起することはどうかとも思ったのだが、疑問は疑問として正直に語る方が大切だと考えて書いてみた。

  

〈7月×日〉

 昨日はEさんに送り迎えしてもらって、豊里の資料研に出た。そこで、Sさんの「本来」「もともと」と表現されていることの中身をどう考えるか、と問題提起してみた。あまり深まることはなかったが、最後にEさんが「そう考えられるが、どうだろうか」と発言した。まあそのへんが一つの落としどころかと思うが、もっと各人で考え続けたいテーマである。しかし、考え続ける人は少ないだろうな、とも思う。実顕地の研鑽会は、その場かぎりで終わってしまい、考え続ける習慣というか持続性がない。そのことがどういうことかは、また別のテーマであるが。 

 

〈7月×日〉

 人間は、社会的存在であると同時に歴史的存在である。さらに言えば、自然史的・地球史的存在である。いつでも進化=変化の中、つまり時間の流れの中に存在している。400万年ほど前に類人猿から猿人・旧人に進化し、20万年ほど前に新人、つまり今のホモ・サピエンスになったと言われている。すると、「もともと」とか「本来」というのは、進化のどの地点の人間を指して言っている言葉なのか。出発のゼロ地点がどこかにあると言えるのだろうか。また、「生まれて間もない赤子は人間本来の姿」というけれども、たとえ無垢の赤ん坊といえども、親の遺伝子を受けつぎ、胎教という母親の心理的・肉体的影響を受け、人類の集合的無意識を受けついでいる。(とユングは言っている) 

 こう考えていくと、「もともと」とか「本来」ということの中身がよくわからなくなる。わからないというよりは、そんなものはもともと存在しないのではないか、と思えてくる。

 しかし、「幸福が人間本来の姿」であってほしいという願いはある。事実としての存在としてではなく、願い・願望としては、強くそうありたいと思う。だから、「本来の姿」から出発する鈴鹿の人たちと違って、私は現実の自分を出発点として「本来の姿」に向かって歩くしかない。煩悩具足の凡夫たる自分には、そうする以外にない、と今はそう思っている。 

 

〈7月×日〉

 大橋巨泉が死んだ。野坂昭如、永六輔につづいて、昭和10年前後の同世代の人たちが相次いで世を去った。一つの時代が終わり、次の時代に移り変わる象徴的な出来事だ。多分、暗い悲劇的な時代が始まるのであろう。私は幸運にも死期を迎えたことで、その時代を見ることなく済みそうだが、子や孫のことを考えると、安閑としてはいられない気持ちになる。

 巨泉も野坂も永六輔も、みんな未来に暗い予感しか抱けなかった。それは多分、私たちの年代が、戦前、戦中、戦後の大きな時代の変転を経験しており、その経験がこれからの未来を見る目を暗くするからであろう。

 恐らく若い人たちには、戦中の、たった一晩で数千・数万を上回る人たちが焼死したり、戦中戦後のものすごい食糧難やインフレーションというものは、話には聞けても実感を以て受け取ることはできないだろう。戦後の困窮の時代が、あっという間に経済成長の波に押し上げられ、一億総中流化が叫ばれたかと思えば、停滞と貧困化の時代に変化する。時代はこれからも変化する。しかも、急速に。世代間の経験の共有は、実に難しい。 

 

〈7月×日〉

 世界中で大人気のゲームソフト”ポケモンGO”が、近々日本でも発売されるというので、大きなニュースになっている。私にはゲームに対する興味も関心もなく、世界中の若者がああいうものに夢中になるというのがよくわからない。自分たちの住む現実の世界がどうなるかに関心がなく、バーチャルや現実をバーチャルに一部取り込んだ仮想の世界にのみ関心が行くとすれば、これはもう一億総白痴化どころの騒ぎではない。人類滅亡への第一歩かもしれない。

 しかし、遊びが人間にとって大事な要素であることは間違いない。科学も芸術も、遊び心なしには生まれない。また、子どもにとって、昔から遊びの一つとしてゲームが取り入れられ、これが子どもの知能の発達に役立ってきた。しかし最近のゲームは、子どもの知能の発達に役立つのではなく、逆に子どもの知能をゲームが吸い取って消尽している。脳がゲーム脳になって、収縮していく。

 このゲームが、子どもばかりか若者からいい年の大人まで虜にするとすれば、これからの世の中はどうなっていくのだろう。 

 

〈7月×日〉

 昨夜から、体にふらつきがある。何となく平衡感覚が損なわれている感じなのだ。一週間前にもそんな感じがあったが、その時は翌日すぐ正常に戻った。しかし、今回はまだ続いている。抗がん剤はいま休止期間に入っているとはいえ、その残留効果というか、残留副作用があって、それが神経を狂わせているのかもしれない。 

 昨日から沖縄本島東北部の東村周辺の米軍ヘリポート基地建設に向けて、政府は反対住民の強制排除に乗り出した。それも日本全国の機動隊を総動員しての強制排除である。一方、辺野古では仲裁裁判の和解勧告を無視するかのように、話し合いを拒否、一方的に告訴に踏み切った。そして埋め立てとは関係ないとして、陸上での工事を再開しようとしている。これが、参院選直後の沖縄への仕打ちである。 

 

〈7月×日〉

 今日は、ふらつきは出ていない。昨夜は胸やけもほとんど出なかった。もしかしたら、体の欲求以上に食べ過ぎていたのかもしれない。栄養補給しなければ、という観念にとらわれ過ぎていたということだ。それにしても、体重は減ったまま少しも回復しない。腰回りが細くなって、ズボンがずり落ちて困る。 

 ここ数日、鈴鹿の『asone 一つの社会』について考えている。「もともと」あるいは「本来」というのは、「そう考えられる」という考えを言っているのか、それとも「事実がそうだ」と言っているのか。

「人間本来の姿は幸福」と断定しているのを見ると、これは一つの考え方ではなく、事実と断定しているのではないかと思われる。しかし、「もともとの姿」や「本来の姿」というものが実在として存在するものなのかどうか。どうも私には、「もともとの姿」も「本来の姿」も、もともと存在しなかったとしか思えない。だいたい、今の人類は20万年前には存在しなかった、400万年前には類人猿も存在しなかった、38億年前には生命自体が存在しなかった、46億年前には地球自体が存在しなかった、140億年前には今の宇宙も存在しなかった、そう宇宙学者は言っている。じゃあ、その前は?といえば、真空で何もなく、その真空の揺らぎから宇宙が誕生したというのだが、このへんになると無学の私にはさっぱりわからない。さっぱりわからないけれども、もし「もともと」というのであれば、「無」「何もない」のが本当ではないかと思える。

 だから、人間の「かくありたい姿」として「もともと」や「本来」を思い描くのは賛成だが、これを実在としてしまうと原理主義の陥穽に陥るのではないか、と危惧するのである。 

 

〈7月×日〉

 今日はYさん夫妻が、神戸からわざわざ来てくれた。お互いに今思うことを出し合って面白かった。今ではお互いの間に壁が一切ないので、何事も歯に衣着せずに話し合え、意見交換ができた。こういう関係がすべての人との間にできたら楽になるなと思った。少なくとも自分の壁は外しておきたい。 

 ”病症妄語”5月2日退院までの記録を整理し終え、少数の知友に送付した。何か一仕事終えた感じになった。 

 

〈7月×日〉

 今朝、相模原市の障害者施設で、元職員の男による大量殺傷事件が起こった。死者19人にも上る惨事である。男の自供によれば、男は障害者がいなくなればよい、と言い、ツイッターに「世界が平和になりますように! ビューティフルジャパン」と書き込んだという。ナチスによる精神障害者の計画的抹殺を、個人のレベルで行ったことになる。

 ちょうど『帰ってきたヒトラー』を読み終えたところなので、余計この事件が一人の狂った男の犯罪として処理することはできないと感じられた。 

『帰ってきたヒトラー』は、ブラックユーモアにあふれた恐ろしい物語である。戦後蘇ったヒトラーの言うことが、かなり的を射て戦後のドイツ(あるいは先進国すべて)の矛盾と退廃を衝いており、かなりの程度に読者の共感を呼ぶことである。ヒトラーと共に怒り、笑っている自分が、いつの間にかナチスに取り込まれ、その支持者になりかねない恐ろしさがここにはある。狂った悪の権化としてヒトラーを片づけるだけでは、忍び寄る第二のヒトラーを防ぐことはできない。

『帰ってきたヒトラー』の文庫版に付された解説の一つにマライ・メントライン氏のものがある。この中で氏は、今のドイツの恐るべき社会風潮の一つを紹介している。それは、ある人気テレビ番組で〈ヒトラー芸〉で人気を博した一人のコメディアンの次のような発言である。

「ボクの〈ヒトラー芸〉に対するバッシングは、ある日突然、一人の著名な社会批評家がボクを糾弾しだしたときに始まったんです。そして炎上した。それまで、誰もそんな文句はつけてこなかったのに。マスコミ関係者も『別に問題ないよ』と言っていたのに……でも一番恐ろしかったのは、ボクを糾弾した人々が、そのとき、さも昔からボクを問題視していたかのように動きはじめたことです……」

 これは、今の大衆社会状況をよく示した事件といえる。ある日突然ブームとなって大衆を呼び込み、またある日突然バッシングを招いて排除される社会、この社会現象をメントライン氏は「本質的な結論を回避する無限連鎖の展開」と言っている。

 ヒトラーを悪と決めつけ、1930年代になぜあれほどの熱狂をもって市民・大衆に迎えられたのかを調べることなく、「極悪非道」の名のもとに否定し去るだけで、ヒトラーを熱狂的に支持したかつての自分たちの責任を回避する今の市民社会とは何なのか。

 今回の障害者殺傷事件についても、一人の狂った人間が引き起こした事件として済ませることはできない。かつて都知事時代の石原慎太郎が障害者施設を視察した後、「ああいう人ってのは人格あるのかね」と言い、自民党副総裁・麻生太郎は高齢者について「いつまで生きるつもりだよ」とうそぶいたという。今回の事件で逮捕された男が、衆院議長あてに「殺人予告」の手紙を書いたというのも、こうした一部政治家の発言を知っていたからであろう。そしてもっと恐ろしいのは、こうした考え方に近いものが、自分の中にもあるかもしれない、ということである。「わが内なるヒトラー」「わが内なる植松聖」について、考えていかねばならない。 

 

〈7月×日〉

 Mさんが届けてくれた池田晶子の本、確かに面白い。納得できることも多い。しかし、疑問は残る。それは「哲学とは言葉であり、真実を語る言葉の中にある」という言明である。では、池田さんはいつでも真実を語っているか。それが、「自分の言葉」ではなく「真実の、あるいは真理の言葉」であると何によって証明できるのか。それは、真実であると信ずる「自分の言葉」にすぎないのではないか。

 また「人はわからないからこそ考える。それが哲学するということだ」と言いながら、神戸の殺人事件を引き起こした少年Aについては、「あれは人間ではなく魔物だ。だからわからない。こんなわからないものについては考えない」と、考えることを放棄してしまっている。

 わからないものを、何とか説明づけて納得しようとする世間の常識を批判するのはわかるが、もう一つピンとこない。

 また池田さんは、スポーツ新聞ばかり読んでいる人を「本来すべきことがあるはずだろう。これは気晴らしどころか、頭の中にはほかに何も入っていないのではないか」とこき下ろしている。確かにそうした人の多いのが現実には違いないが、そうした社会の実態の上に立ってどう考えるかが哲学者にも求められているのではないだろうか。

 池田晶子さんのファンは多いそうだ。知人の中にも何人かファンがいる。それは、池田さんの明快な切り口の鋭さに魅了されるからでもあろう。しかし、池田さんも言うように、池田さんの本自体を自分の頭で読みこなしていかないと、単なるエピゴーネンになってしまうだろう。 

 

〈7月×日〉

 退院後ずっと、2日に一度風呂に入る。裸になって鏡の前に立つと、そこにしぼんだ風船のようにシワシワの体をした哀れな男が映る。思わず「誰だ、お前は!?」と叫びたくなるが、これが今の自分の偽らざる姿と認めざるを得ない。

 私は、去年の12月に食道がんを宣告されたとき、死を覚悟した。そして、子どもたちに本人の意思として、「もし死が避けられず、生命維持装置によって植物的にしか生きられないとすれば、それはやめてほしい」と伝えた。しかし、「植物的」という概念も、本当のところはよくわからない。意識があるのかないのかもわからない。ただ、自分としては自律的に生きることができなくなったら、死を受け入れたいと思っている。いわゆる「尊厳死」の考え方である。

 自分はこれでいいと思っているし、その思いは今も変わっていない。しかし、この考えを他の人に当てはめることができるかどうか。自分は自律的に生きられなくなったら死を選ぶけれども、他の自律的に生きることができない障害者に、あなたもそうすべきだなどととうてい言うことはできないはずである。しかし、自分の考え方は、どこかで障害者の死を軽視したり、肯定したりする優生思想につながりはしないか、という恐れが出てきた。

 最首悟氏は、「今社会には社会資本を注いでも見返りのない障害者や寝たきり老人は〝社会の敵”だと見做す風潮がある」と指摘している。敵とまでは言わなくとも、ごみとか屑という考え方は、中高生の間にも底流として流れている。いわゆる社会正義の仮面をかぶった考え方である。そして正義の士になりたがる人が意外と多い。

 今回の植松聖の障害者殺傷事件を通して、もっとこの問題をみんなで考えていきたいと思い出した。他人事としてではなく、自分の生き方の問題として考えていきたいと思う。