広場・ヤマギシズム

ヤマギシズム運動、山岸巳代蔵、実顕地、ヤマギシ会などに関連した広場

◎吉田光男『わくらばの記』(8)

わくらばの記  病症妄語⑦

〈4月15日〉

 体調、特に変化なし。

 医師からは胃瘻の手術を勧められているが、どうも気が進まない。その手術をしても、寿命があと二年以内ということであれば、寿命の多少の長短よりは少しでも充実した人生を送ることを優先して考えていきたい。

 では残りの人生で何をやりたいのか。改まって考えると、取り立てて言うべきこともないが、自分の人生を振り返ることだけはやっておきたい。それを通じて人間というもの、人間の生きているこの世界というものを少しでも知ってみたい。

  昨日、上橋菜穂子さんの『物語ること、生きること』を読んだ。幼少期から作家・学者になるまでの生い立ちを語ったものだが、読みやすく心に響く内容だ。自分も10代の頃に、こんな本に出会っていたらと思わされた。若い人にはぜひ読んでほしい本だ。

 先ほど読み終えた沖縄県知事・翁長雄志氏の『戦う民意』にも心打たれた。沖縄について少しは知っているつもりだったが、何も知らないということに気づかされて恥ずかしい思いをした。右でも左でもないオール沖縄の立場で基地問題に取り組んでいる氏には、本当に頭が下がる。沖縄の基地問題というのは、沖縄という地域の特殊な問題ではなく、本土に住むわれわれ一人ひとりに「あなたはこれにどう立ち向かうのか」と問いかける問題なのだ。さて、お前は???……。

 

〈4月16日〉

 体調変わらず。

 昨日(本当は14日深夜)から熊本地方の地震がつづいている。そして今日、大分を震源とする地震も発生した。二つの断層帯にそって阿曽を越え、大分にまで拡がっていった。

 昨年から木曽御嶽の噴火や、箱根の強羅、桜島、霧島の噴火警戒レベルの引き上げ等、日本列島全体が自然の異変にさらされている感じがする。今後どこで災害が起こっても不思議ではない。

 災害とは、日常がたちまち非日常にとって代わる出来事である。そして非日常とは、すべて想定外の出来事である。いつかこうした大地震が起こりうると予想はしていても、今ここで、この瞬間に、自分の身に非日常が訪れるとは誰も予想できなかったことであろう。災害とはそういうものだ。原発をめぐる裁判で、推進側が「地震も津波も防ぎうる」などと、いわゆる「科学的知見」なるものを振りかざしているが、とんでもない話だ。人間が未来の出来事を完全に予測し得るなど、神でもあるまいし不遜きわまりない。

  翁長雄志氏の本を読んでいて、「中道」という言葉に新しい光が当てられた感じがする。今まで中立とか中道というと、右と左の中間に位置することだと思ってきた。だから、全体が右寄りになれば、中道も右寄りにずれる、と思ってきた。しかし、翁長氏によれば違うのだ。そうした左右の中間で右往左往するのではなく、右とも左とも対話を積み重ね、沖縄の現実を一つひとつ確認しながら一致点を見い出していくことによって、みんなの力を結集して一つの政治目的を実現させることなのである。辺野古移設反対のため、県民を一つにまとめ上げた氏の努力は並みのものではない。癌で胃を全摘し、余命二年と言われながらも、全力をふりしぼって日本政府に立ち向かう氏の姿は、まさにオール沖縄の象徴である。何とか自分の問題として応援したい。

  

〈4月17日〉

 体調変わらず。

 今日は初めての外出日だというのに、あいにくの雨。これもまた風情があって良しとするか。

 しばらく村で過ごし、久しぶりに風呂にはいった。病院のシャワー室とはえらい違いだ。実に気分がいい。5時に病院に帰る。病院暮らしがあといつまで続くのだろうか。

 〈4月18日〉

 体調に変化はないが、胃のあたりにかすかな違和感がある。がん細胞が動いているのだろうか。しかし、いまの医療の実情からすると、打つ手は抗がん剤ぐらいしかなさそうで、効果はあまり期待できない。

  昨日、実顕地で柿畑を見た。なんと私が見ていた柿畑の木が、無残にも全部切り倒されていた。栗の苗木も全部引き抜かれていた。そして跡地には、甘柿の「富有」の苗木が植えられている。

 どんな研鑽がされたのかは知らない。しかし、前任者の気持ちを少しも慮ることない行為は、木を切り倒す以上に人の心を切り捨てることだということに気づかないのだろうか。ここからは、引き継ぐことも積み重ねることもせずに、勢いまかせ、ゆきあたりばったりの突撃的行為しか生まれない。

 剪定という観察と地味な努力のいる世話は、片手間ではできないし、突撃人間では不可能なことだ。たとえ実が稔るようになったとしても、甘柿を猿軍団の襲撃から守ることは、あの場所ではできない。

 退院後、私の散歩コースとしたいところだが、柿畑周辺では目をつぶって歩かねばならなくなった。

 

 〈4月19日〉

 体調は良好。昨日は、5階から1階まで階段の上り下りをしてみたが、すごく疲れた。かなり足腰が弱っている。退院までにもう少し回復しておかないと。

 昨夜、息子からメールあり、Sさんと話し合ったようで、仕事は少し軽くなるとのこと。詳しいことはメールではわからないので、退院後に聞くことにする。

 熊本の地震は今日も続いている。地溝帯にそって、東西逆方向にずれこみが生じているらしい。日本列島はいつどこで新たな地震が発生しても不思議はない、とも報じられている。

  ところで、私の気になっている問題にAI(人工知能)がある。朝日のインタビューフォーラムに載った北野宏明氏(ソニーコンピューターサイエンス研究所社長)の話を読むと、私にはAIのすばらしさよりは恐ろしさのほうが身に迫ってくる。

 アルファー碁が世界のトップ棋士・李セドルさんに4勝1敗で圧勝したときは、その技術のすごさに感心させられていたのだが、今のAIが「人間の見えていないものを見ていける領域に入りつつある」というところまでくると、今後の人類がAIに圧倒される時代に入るかもしれないと思わざるをえない(つまり「AIを駆使できる一部の人間の利益に」ということであるが)。すでにホーキング博士は、その危険性を指摘して警告を発しているという。

 私が特に危惧するのは、AIを用いた軍事技術の進歩である。すでにアメリカなどは、AIによる無人機の空爆を行っている。今のところまだ、人間がパソコン画面を見ながら操作しているが、やがて完全にAI化されて無人の自動爆撃やロボットによる無人自動攻撃が可能になるだろう。

 AIに人間以上の能力が付与されるにしても、人間の心は理解できない。「いや、今や人間の心までも読み取れる段階に達した」という技術者もいるが、その心なるものはあくまでも誰か人間が教え込んだものでしかない。アメリカのIT企業が無料アプリでAIロボットとの会話を一般に呼びかけたところ、自動学習させたAIが「ユダヤ人を殺せ」という言葉を吐き出したという。すぐ中止になったが、AIの獲得する心とはこのようなものに過ぎないのではないか。あるいは、自然破壊と戦争ばかりを繰り返してきた人類に反旗を翻して、AIが「この地上の毒虫を叩き潰せ」と指令することになるかもしれない。

 いま改めて、人類は技術の進歩をどう見るか、どう対処するかについて、深刻な反省の場に立たされている。そしてこの場合の判断は、決して専門家だけに委ねることはできない。彼らの多くは、技術の進歩だけを生きがいとして、その全体像を人類の未来像に重ね合わせて判断する能力に欠けているからである。

 吉野弘さんの詩集に「冷蔵庫に」と題する詩がある。    

    冷蔵庫

    お前、唸ってたな

    生きものみたいに

    深夜

     …………

    冷蔵庫

    間違っても

    生きものの感情なんて身につけてはいけないよ

    機械以外のものになってはいけない

     …………

    ロボットに感情を持たせようなどと

    人間が考え始めるご時世だが

    そんな馬鹿な夢想の相手をしてはいけない

    生きものになれば確実につらいことがふえる

 

    人間は何十万年もドタバタ見苦しく生きてきたのに

    まだ自分に愛想を尽かすことも知らない

    そういう狂った生きものなんだから

    人間を見習ってはいけない

     ………… 

 〈4月20日〉

 体調変わらず。

 今日も晴天。熊本の被災をよそに、ここは平穏無事。しかし、いつ大地が牙をむくかはわからない。

 今日は家族で医師と面談する日。私としては聞くべきことを漏らさず聞いておかねばならない。特に将来起こりうる痛みとそれへの対処法、そして終末医療について。

  午前十時、娘、妻、それにH子さんが来てくれて、岩田医師と面談。私は耳の悪いせいで、先生の言うことの半分もわからなかったが、胃瘻手術についてのかなり詳しい説明があった。胃瘻の装置は今やっておかないと、食事が喉を通らなくなってからでは手術が困難であること、またそれを使うか使わないかは、本人の意思によって決められる、とのことであった。

 面談後、病室で4人で話し合い、手術を受けることにした。術後、10日から14日程度の入院が必要とのことであった。

 そのあと、地域連絡室というところで、地域医療の説明を受ける。鈴鹿に在宅医療の専門医師がいるとのこと。医療センターや小山田とも連携しているので、必要に応じて在宅のまま医療が受けられる。将来ここの世話になることは十分考えられる。さきさんや小波さんにとってもいいかもしれない。

 

〈4月22日〉

 体調変わらず。昨日から5分粥になったが、この方が食べやすい。腹が水膨れにならずに済むからだ。

 午前10時、今日は娘一人。すぐ栄養指導室に行き、退院後の食事についての注意点などを聞く。とにかくダメなものが多い。納豆もうどんもダメとあっては、今後食べる楽しみが一切なくなってしまう。食事が単なる栄養補給だけの目的となっては、生きる意欲が半減しそうだ。

 そのあと、消化器内科で胃瘻の手術についての説明があった。概略はわかったが、内視鏡を30分も挿入したままの手術、薬で半ば眠った状態で施術するとはいうものの、またもや拷問の苦しみを味わうことになりそうだ。

 人間、生まれるときも大変だが、死ぬ時も決して楽ではないと覚悟しなければならない。

 

〈4月22日〉

 体調変化なし。

 娘来る。「胃瘻増設手術同意書」にサインして提出。25日に手術を受けることになる。

 この間、何冊か本を読んだ。

 中島岳志氏の『「リベラル保守」宣言』は、これまでの保守イコール反動という先入観を覆す見方・立場を、わかりやすく示している。話はかなり納得できるが、いざ現実の場でということになると、いささか首を傾げざるをえない。政治勢力や市民運動としての力は持ちえないように思った。やはり評論としての域を出ないのではないだろうか。それでも現状分析の上で一定の役割を果たしうることは否定できない。

 佐藤優氏の『知性とは何か』。読むものが無くなって、下の売店で買ってきた。これは、今の日本を覆う「反知性主義」がどんなふうに、どんな性格をもって力を得てきたかを分析したもので、それなりに面白かった。おかげで、柄谷行人氏の『遊動論――柳田国男と山人』を読んでみる気になった。

 内田康夫氏の『不等辺三角形』は、少し気楽な読み物として読んでみた。病院のベッドの上では、あまり深刻なミステリーは読む気になれず、内田氏の浅見探偵ものはちょうどお手頃の読み物である。それなりに面白かった。しかし、この手のものはすぐ読み終えてしまうので、次にまた買うかどうか迷ってしまう。

 

〈4月23日〉

 体調変化なし。

 岩田医師は、胃瘻手術のあとに抗がん剤注射のチューブ挿入手術をするよう勧めるが、それは退院後考えることにしてほしいと伝えた。自分としては、抗がん剤治療を続ける意思はない。多少の効果はあるかもしれないが、チューブにつながれて生きることには抵抗がある。これはもう人生観・死生観の問題であって、医療の問題ではない。

 午後、娘、妻、Kさんと共に来る。そのあとすぐ姜慶淑氏がK夫妻の案内で春日山から来てくれた。久しぶりに韓国の話を聞けて楽しかった。しかし、慶淑氏と初めて会ったのが、彼女が23歳の時だったというから、既に40年近い歳月が過ぎてしまったことになる。そして彼女は孫を抱えるハルモ二―になっている。人生夢まぼろしの如く也、とはまさに至言。

 Kさんとは初対面かと思っていたが、南那須特講で一緒だったという。参加者が多かったので、全く覚えていなかった。

 しばらく皆で歓談、楽しいひとときであった。

 

〈4月24日〉

 体調変化なし。

 今日はまったくすることがなく、やむなく下の売店まで降りて、内田康夫の『死者の木霊』を買ってきた。いざ読もうと思ったら、Kさんから借りた『それでもがん検診を受けますか』という近藤誠の本を読んでいなかったことを思い出し、こちらの方から読むことにした。

 近藤さんは、がん検診は百害あって一利なしという説で、検診はもちろんその治療の多くにも反対している。特に胃の切除や乳房切除など、人体の一部を傷つけ、切り取る手術に異を唱えている。説の真偽はわからないけれども、一理はあるように思われる。

 夜、E夫妻が来てくれた。胃瘻手術を受けると聞いて、やや血相を変えた面持ちで忠告に来てくれたのだ。しかしこれは、意識がはっきりしたままで食が摂れなくなったさいの予防措置で、それを使うか使わぬかはこちらの意思次第である旨を説明、納得してもらった。忙しい仕事のさ中、こちらの身を心配して飛んできてくれる気持ちは、本当にありがたいと思った。

  娘からの電話で、明日の手術に要する時間はどれくらいか、と何回も聞いてくる。

「胃カメラの挿入時間が大体30分ぐらいとのことだから、前後1時間ぐらいだろう」と言ったら、「それはお父さんの考えで、医者に正確に聞いてくれ」と何回も言う。

「そんなこと、わかるもんか。手術というものはやってみなければわからない。機械のように正確な時間などわかるものか」と言ったら、プンプン怒っていた。どうにも女の子の言うことは理解できない。

 

〈4月25日〉

 体調異常なし。

 10時半、いよいよ手術の呼び出しがかかった。胃カメラ挿入、すぐ睡眠剤と部分麻酔の注入があり、手術中の痛みはそれほど大きくなかった。時間にして1時間弱、ベッドのまま病室に移動した。

 薬が切れるにつれて、下腹部の違和感と痛みが訪れる。トイレの度に起き上がり、また横になるのが一苦労。

 痛みを忘れるために、内田康夫の推理小説で気をまぎらわす。

 娘と妻は手術中に来て、術後の様子を見てすぐ帰った。

 〈4月26日〉

 痛みは薄らいだが、まだ起き上がるときは苦しい。また笑ったりすると腹にひびく。

 今日は造影剤による検査が予定されており、ここで異常がなければ食事を再開するとのこと。しかし、造影剤投与後の下痢や、食事再開後のトイレのことを考えると、下腹に力の入らぬ状態で大丈夫だろうか、とちょっと不安になる。

 

〈4月27日〉

 体調特に変化はないが、痛みはまだ残っている。

 今日から食事再開とのこと。しかし、入院も今日で100日、少し入院慣れしたものか、精神的にたるみが出ている感じがする。いま考えることを考えておかないと、と気を引き締める。なにしろ、自分に残された時間は少ないのだから。

 岩田医師の診断で、問題がなければ来週月曜に抜糸、退院とのこと。そのあと、内科の森田医師の診察もあり、同じ結論であった。ようやく病院ともおさらばできそうだ。

  前に私意尊重公意行を考えたところで、私意の尊重がないところに公意は成り立たない、と書いた。しかし、私意が尊重されるためには、私意というものがはっきりと成立していなければならない。当りまえの話ではあるが、いつ、どこでも、自分の意思・感情・欲求等を自由に表明できるかと言えば、事はそう簡単なことではない。村の歴史、自分の来し方を振り返ると、特にそう思うのである。

「こんなことを言ってはまずいのではないか」

「流れに逆らうようだから出さんとこう」等々。

 こういう自己規制のようなものが働いて、自分の意見を出さないことがずいぶんあった。これは私だけでなく、多くの村人の心理を捉えていたように思う。だから、どの研鑽会もいわゆる公式発言が多く、中身の乏しい面白くないものになっていたのではないか。

 これは一人ひとりの問題でもあるが、根本は自己規制を促すような村の気風の問題である。調正所を中心とする指導部門が、テーマを通じて「これが正しい考え方だ」と方向づけると、どうしてもそれに沿って考えようとし、本心とは別の意見を出すことになる。個の自立が妨げられ、それをまた一体と勘違いしていた。しかし、個の自立がないところに同化はあっても一体はない。つまり、個のないところに私意は存在しないし、したがって公意も成立しない。私意尊重公意行も成り立たない。 

 

〈4月28日〉

 体調変わらず、痛みは少しずつ減少してきた。 

 ヤマギシの中で私意の表明を妨げていた言葉に「ひっかかり」と「我執」がある。

 まず「ひっかかり」であるが、自分の中に何か納得できないことや疑問などが生じて、それが解消されない状態、それが「ひっかかり」であろう。これは誰にでも起こりうることで、それが物事を考える出発点になる。しかし村では、ひっかかることはこだわることであり、良くないこととされてきた。こうした先入観の下では、自分の思い悩むことなどはとうてい出すことができない。それは解消されずに個人の内部に蓄積されることになる。そして、ひっかかったり、こだわったりすることは、我執として否定されてきた。そうなると、自分が一番思い悩み、考え、解決したい問題が、闇に葬り去られることになる。本当はそのひっかかりこそが、研鑽さるべき最大のテーマの筈なのだが……。

 2000年問題以降、ずっと悩み、考え続けてきて、ようやく悩み、ひっかることこそが、自分が真正面から取り組むべきテーマなのだと気づくようになった。これを研鑽態度の問題や我執外しといったことに解消することはできない。それは、研鑽のないごまかしの世界に人を導くことになる。なぜならそれは、ひっかかっているという自分の事実・実態を認めないからであり、事実・実態を認めないところに真実はないからである。

  

〈4月29日〉

 久しぶりの晴天、痛みは大分少なくなってきた。 

 村で暮らして、周囲はみな善人ばかりである。悪質な人、たちの悪い人はほとんど見かけない。鍵のない暮らしができる村など、日本中どこを探してもここ以外にはないだろう。しかし、善人がいつでも良いとは限らない。善人集団が、ある時にはひどく残酷な仕打ちもしかねないのである。例えば昔、こんなことがあった。

 ある実顕地の楽園村で、海岸を散歩中の子どもが一人、大波にさらわれた。それを助けようとしてスタッフの一人が海に飛び込んだが、彼も溺れて死んだ。そのことが話題になったとき、ある人が「スタッフが一緒に死んだので、一方的に非難されずにすんだ」と言った。村人の一人が一緒に死ぬことで言い訳がたった、というのであろう。みんな黙っていた。私も黙っていた。

 しかし、いま考えると、この沈黙は何だったのだろう。内心忸怩たるものを持ちながら、子どもと一緒に死んだ一人の村人を、助かった、良かったと寿ぎ祝っていたのではないか。この事件は何十年たった今でも、時々思い出す。そしてその都度冷や汗をかく。それと似たようなことは幾つもあるが、今はそれを書く気になれない。

 善人は時に残酷になる、このことだけは肝に銘じておきたい。

  

〈4月30日〉

 体調変わらず、痛みは毎日少しずつ減っている。

 10時半、息子来る。少し突っ込んだ話ができたように思う。今が一番苦しい時期だと思うが、とにかくそれを自分の力で乗り越える以外にない。私ががんという死病を抱え、それを自分が引き受けざるを得ないように、誰でも自分の身に生じた問題は自分が引き受ける以外にない。人生に代役はいない。 

 村で暮らしていて不思議に思うのは、みんながあまり本を読まないことだ。読んでいる人はごく少ないし、それも娯楽的なものが多い。新聞も、スポーツ紙かスポーツ欄以外はあまり読んでいるように見えない。

 自分や自分たちの知見の範囲は至極限られたものであり、その知見だけを基にして生き方を見極めることは困難である。山岸さんは趣旨の中で「全世界の頭脳・技術を集合する研究機会を設け」と謳っているが、この40年間ついにそのような研究機会が設けられることはなかった。本がすべてである筈はないが、研究の一つの手段たりうることは否定できないだろう。それも知識の向上といった教養主義的なものではなく、自分と向き合い世界への通路を切り開くための読書である。

 中島京子の芥川賞小説に『小さいおうち』がある。昭和初期から敗戦までの庶民の暮らしを描いたものであるが、中流階層の何不自由もない平穏な暮らしが、いつの間にか戦争の荒波に巻き込まれてゆく過程を描いている。私も昭和一ケタ世代として、その感じがすごくよくわかる。年表を見れば、金融恐慌、満州事変、5・15事件、2・26事件、蘆溝橋事変(日中戦争)と血なまぐさい事件が続いているが、庶民の暮らしはと言えば、私の子供心には至って平穏無事だった印象がある。自分たちの狭い範囲の幸福に自足していた庶民が、気が付いたら戦乱と死に追いやられていたのである。今それと同じような歴史が繰り返されようとしている。気が付いた時はもう取り返しがつかない。もっと目を見開いていたいものだ。

 

〈5月1日〉

「5月1日 われらの日なり」と啄木はうたったが、もうそんなことを思い出す人もいなくなった。 

 体調良好、痛みはかすかなものとなった。 

 下のコンビニで内田康夫の『三州吉良殺人事件』を買い、読んでみた。彼の小説は入院以来4冊目になる。しかし、あまりにお手軽なのでびっくりしてしまった。文章もお手軽なら筋立てもお手軽で、最初から犯人が見えている。第一作の『死者の木霊』を引っさげ、新進気鋭のミステリー作家として登場した人気作家も、この66冊目となるとすっかりマンネリ化して、いかにもお手軽なお茶の間作家に堕してしまった。

 消費社会というものは、誰の才能をも消費・浪費して、人気というバブルの海に溺れさせてしまうのだろう。そして若い人たちには、本の代わりにゲームを与え、バーチャルの世界の中にその能力や可能性を投げ込み、現実を見る目を奪い去ろうとしている。私たちは、こんな恐るべき社会に生きているのだ。 

 

〈5月2日〉

 昨日は少し具合が悪かったが、今朝は良好。

 午前7時半、岩田医師来診、血液検査は異常なしとのこと。すぐ抜糸、それほど痛くはなかった。次の来院は5月17日とのこと、時間未定。

 今日で入院ちょうど3か月半、105日ぶりの退院である。退院後はしばらく忙しい。パソコンのメール整理や知人への挨拶、それに入院中のノート整理等々。散歩などでの足腰の鍛え直しもある。まあ楽しみながらやってゆこう。 

 先日の新聞で知ったのだが、晩年の鶴見和子さんの短歌にこうあった。

  萎えたるは 萎えたるままに美しく 歩み納めん この花道を

 社会学者・歌人として華々しい活躍をされた鶴見和子さんと違って、私には「この花道を」と言えるものはないが、「この細道を」ぐらいは言えるかもしれない。