広場・ヤマギシズム

ヤマギシズム運動、山岸巳代蔵、実顕地、ヤマギシ会などに関連した広場

◎山岸巳代蔵の思想についての覚書➀

〇理想と具現方式
 リンク先のF氏のブログ「自己哲学第2章『反転する理想』」の(22)「権威」から<権力>化への、わが<貢献> ①を読んで、いろいろ思うことはある。ここではまず、知人の要望に応えているのかどうか分からないが私の思うことを書いてみる。(現2017年10月現在このブログは閉じられている)

 その部分は次のようになっている。
「歴史をひもどけばあらゆる権力(特に世襲的、封建的)は、そのようにして成り立ってきた。ただ実顕地はヤマギシの「理想」に鑑みる限り、そうさせてはならなかったはずである。いうなれば〈ひととは互いに「一列横」の対等・平等な存在であるという感覚と認識〉のことである。山岸さんがその部分でどんな「具現方式」を抱かれていたのか私はあまり知らないので、全集編集者諸氏からの教示を承けたい。」

 おそらくF氏は高邁な理想に共鳴して参画した人たちが構成する実顕地が、何故その理想から甚だかけ離れたものになっていったのか、自らの体験に引き付けて考察していくにあたって、山岸の描いた人の関係のあり方についての具現方式を知りたいというものだろうと思われる。

 

 私にとっていい機会なこともあり、順序としてこの稿では、山岸の描く理想とそれの具現方式の流れを、その著述の文脈を外さないように留意しつつ、適宜参照しながら述べてみる。

 山岸巳代蔵の山岸会設立以後の本格的な著作に『ヤマギシズム社会の実態』がある。そこに「知的革命私案(一)に10「具現方式」によって」があり、その一部を抜粋する。

 

・「10「具現方式」によって:次に述べる方式は、私としましては、実現可能の確信を持っていますが、私はもとより全知全能の特別人間でもなく、学問・知識・体力・技能・経験の程度のいずれもが、低く浅いことは充分自覚しておりますし、かつ何らの地位・資格・特権を持っているものでもありませんから、次に述べる具現方式を、教え・押しつけ・命ずるものでなく、これは私案であって、私と同じ考え方を持っている人で、同じ途を行かんとされる方と、横の人(中心とか、竪・上下の人でなくて)として堅く手を握り合って、共同の目的を達成したいと思って発表する次第です。
 なおこの方式に不備な点や、間違ってある点を、相共に見つけ出して、最上の方法に修正さるべきだとも思います。私を神仏化したり、絶対者扱いをする変り者や、中心指導者と思い違いをしている言葉をよく聞きますが、これは大変な誤りで、このような間違った観点に立って事を進めると、偏った方向へ進み、宗教的になったり、独裁者が出来たり、分裂したりして、いつかは潰滅します。
 この革命案も、私は幾千億かの世界人のうちの、細微な一人にすぎない立場から提案しておるのですから、私案に屈従盲信されずに、虚を衝き、偽りがあれば暴露し、反駁を加え、大いに教えられることは、私の最も願わしきところとするものです。」(『全集二巻』より)

 

 どのように高邁な理想(ことば)を掲げた組織、そこから構想された具現方式であろうと、そこに共鳴して参集した一人ひとりが具体的に、真っ当にそれを担おうとすることで、紆余曲折を経ながら徐々に具体化されていくのだろう。

 わたしには、山岸の具現方式と問われて、あらゆることを「けんさん」「けんさん方式」で何事もどこまでも問い、考え続けていくことというのがでてくる。

 一九五三年(山岸51歳)、山岸巳代蔵の養鶏法、考え方に共鳴する人たちで「山岸式養鶏普及会」が発足する。このとき、特に大事な提案があるからと、山岸が考えている組織とその趣旨・方法についての文案を提示した。

「養鶏普及会は実に結構なことであるが、私の体験からも、また若い頃から考えつづけた私の考えや、社会の実情からしても、養鶏普及会だけの会であり活動であればじつに危険で、むしろそれなら初めからこんな会を作らない方がよかったと気づく時が必ず来ると思う。その上皆さんも感じていられるように、これは実は鶏であって鶏でない。本当は鶏も含めた根本的な不可欠の大事なものがあると私は考えるのだが」(『全集一巻』「懐想・メ-ポール」p447)

 

 それが一同の共鳴共感を受けることになり、是非普及会と同時に並列的に結成しようということになった。
 かばくひろし(山本英清)の「懐想・メ-ポール」には、その頃の山岸とのやりとりの記録もある。

「(山岸式養鶏会会則)にはなぜ山岸先生の位置を明記していないのですか。私の考えとしては会として体をなすためにはその性格上是非、先生を総裁とか何とかの位置におくべきだと思うのでありますが」(と問うと)
「私は山岸会の一会員としての位置で結構なんです。実をいうと私としましては二、三年の間にこの会の現在の位置から退きたいと思っているのです」
 山岸さんは立ち上がってテーブルに両手をつき、やや細くて澄んだ力強い声でそう答えられた。私は実に意外であった。(同p453)

 

〇山岸会趣旨
 自然と人為、即ち天・地・人の調和をはかり、豊富な物資と、健康と、親愛の情に充つる、安定した、快適な社会を、人類に齎すことを趣旨とする。
(一)方法 本会の趣旨を実現するために、全世界の頭脳・技術を集合する研究機会を設け、それを実践する。

山岸会会旨 〝われ、ひとと共に繁栄せん〟
 私達は、諸事を考え行うに当り、その正確さを期するために、それの判定に、この会旨をもってします。
 その思い為すことが、果して終局に於て、自己を含めた社会の永遠の幸福・繁栄に、資するものであるか、どうかを検討し、一次的(自己一代、及び自己の周囲のみの)目前の結果にとらわれないように、心しております。

 

 結成以来山岸会の趣旨と会旨は山岸の理想実現構想の柱であり、ヤマギシ会に深く関わった人の多くは、1956年開催される「特別講習研鑽会」(以下特講)とともに、これに共鳴して参集することになる。趣旨の方法で述べられている研究機会は研鑽機会(研鑽方式)のこととしてみていいだろう。

 わたしが1週間の特講に参加して、どちらかというと冷ややかに対応していたが、全く見ず知らずの様々な年齢と異質な考え方をする人たちと馴れ親しむにしたがって、テキストとして使っている「ヤマギシズム社会の実態」(※今はよく知らないが、特講で必ず使っていた)とともに、ヤマギシズム運動に魅かれるものがあった。

 

〇〈同格〉が基本
 このテキストの構成に「幸福研鑽会」の項目があり、ここで印象に残ったことをいくつかあげてみる。
・「この研鑽会には誰でも出席できます。年令・性別・性格・知能・思想・人種・国籍・学歴・研究部門・職業・党派・所属団体・宗門・官公民・役務・階層・地位・貧富・好悪感・理論及び実現に対しての賛否の如何にかかわらず、助産婦も僧侶も、大臣も乞食も、みな同格で出席します。」

・「いかなる場合にも絶対腹をたてないことと、暴力を用いないことになってありますから、何を言われても悪感情を残さないこと、それから、誰もが思ったことを、思うがままに、修飾のない本心のままを、遠慮なく発言し、または誰の発言や行為をも忌憚なく批判します。政治批判も、人格批難(同席者の)も、差支えなく、そんなことで弾圧したり、腹を立てたらおしまいです。」

・「特別人間や、神や、仏は仲間入りしていませんから、ある人を盲信し、屈従迎合しないことで、偉い人のお説教を聞くのではなくて、お互いの持っているものを出し合って、自分達で共によく検討し、一致点を見出し、実行に移すのです。提案はしますが、個人の意志により命令する者はいないのです。

 

 以上のことなどをみていくと、〈同格〉で参加していることが研鑽会の絶対的な必要条件だとなる。自分の思いも他の思いも権威あると見ている人の思いも、いずれにも重きを置かず、各自が思っていることをそのまま出すことを通して、どこまでもみんなで検討し探りつづけていくことが、山岸が構想する研鑽会のエッセンスとなるのではないか。そのためには出席者は同格でなければならない。少なくとも自分は。

 その後北海道試験場の2週間の研鑽学校で、その研鑽中味、参加同期の人、試験場の人たちなどに魅力を覚えて、ここは面白いところだなと、独身の身の軽さもあり、取りあえず参画した。1975年のことだ。

 どれほど自覚していたのか心もとないが、参画にあたって、この組織ではすべて「けんさん」方式ですすめていくのだなというのは、心のどこかには刻まれたと思っている。

 だが、3週間余の研鑽機会を体験したといってもほんの入り口であり、山岸さんが生命線だと考えている「けんさん」の実質体得はその後の生活態度にかかっている。
〈同格〉の意識など、ことさら研鑽会になってから用意できるものではなく、日々のその人の心のあり方から滲み出てくるものであり、ここに引用した箇所のどれをみても、日頃の人に対する心のあり方、研鑽態度が問われてくる。

 

 あえて私の体験を述べてみたが、一人ひとりの体験、そのとらえ方は千差万別だと思う。だが、ヤマギシズムの考え方に共鳴し、参画した人の程度の差はあるが共通の経緯ではなかったのではないだろうか。

 参画当初暮らした北海道試験場で、研鑽生活というほどの自覚は乏しかったが、牧歌的な開放的な感じがあり、言いたいことを言い合っていたという印象がある。

 山岸巳代蔵全集の刊行・編集委員をする中でより鮮明になったのは、59歳で亡くなるまで山岸巳代蔵は、終始山岸会の趣旨、会旨の具現化に心血を注いだ。その生命線は「けんさん」「けんさん方式」である。

 具体的にはヤマギシズムに初めて触れる人のための「特講」、実顕地の原初形態である「百万羽科学工業養鶏」、亡くなる1年程前ぐらいから、心底けんさんできる人になる「研鑽学校」、けんさん方式で人生全般のことを試験研究する「試験場」、それを実際に顕現する「実顕地」構想ができあがり、その実現化にかかりはじめて、すぐに亡くなることになる。

 

〇「けんさん」が生命線
 山岸は「けんさん(会)」の実質について様々な機会に言及している。要点は、どこまでもキメつけないで、あらゆる社会通念や権威などにとらわれず、本質を探究し続け、最も深く真なるものを解明し、それに即応しようとする考え方ということになるかと思われる。
 そうするには、「本当はどうなのか」「もっと考えられないのか」「間違っているかもしれない」という疑問の持続というのが欠かせない。今まで常識とされていたことに対しても、自分の観方・捉え方に対しても厳しい問いかけが続くという自覚も要る。

「けんさん」について書かれたものに1960年執筆〈本題 第一章 けんさん〉がある。
『正解ヤマギシズム全輯』の編集要領で、「研鑽を第一輯に出そうと思う。世界中『けんさん』というそのままの言葉を使うようになるようにしたい。英語に直さずに」と述べているように、禅(ZEN)や道(DAO)のような世界語となるようにと考えていたようだ。

 

「全部ではないが、ヤマギシズムの基本となるものが研鑽である。研鑽は話し合いだけではなく、理論、方法、実践の一貫したもので、生活即研鑽である」として、『正解ヤマギシズム全輯』の構成は、第一輯に「けんさん・もうしん」の項目を考えていて、「出版計画打合せ」に〈本題 第一章 けんさん〉が書かれている。その抜粋を見ていく。

・「この研鑽というのは、過去の文献だとか、実績だとか、それぞれの人の考えだとか、教書、指導書、研究発表などを基本としてやるのでない。間違いないものとキメつけて、それから物事を判断するものでない。哲学とか科学とか言われても、みなそれぞれ決定した、動かない基本体系を持ったもの。それを持たないもの……。
研鑽は学問と違う。
 こう一応定義をしても、そのもの、キメつけたそのものでない。文字でも、言葉でも、学問でも、実験も、それらは含まれるが、そのものでもない。一応は定義づけても、それは一応であって、絶対間違いないと、不動のものとキメつけて変わらないもの、変えようとしないものでない。やはり、真に正しいことを期すために、どんなに真に正しいと思われることでも、立証されたから間違いないとか、正しいとか思っても、それは一応の段階的正しいとするもので、やがては正しくなかったという結果になるかも分からないとするもの。したがって、これで間違いないとキメつけた最終のキメつけでなく、一旦最終的な、変わらないものと思っても、なお間違いかどうかの検べる余地の残されたもので、どこまでもどこまでも、間違いあるかもしれないとして検べようとする観方、考え方、とり方、実験、また実験等を通して検討する、正しいかどうかを究めていく。実験に出たからといって正しいとキメつけない観方、考え方である。
 これが正しい、間違いない、真理だというものによって安定確保を求めようとする考え方からすれば、でなければ、不安定だとする考え方としてキメつけて動かない考え方には、実に不安定で、掴まえどころがないような、頼りなさを感じるものである。例えば、適切でないかも分からないが、これが正しいという理は分かっていても、正しい測定が出来ない。正確な場合もあるが、これが正確だとキメつけ、科学的に調べた、物理的に調べたといっても、これが絶対と言い切れないものである。」(『全集七巻』「編輯計画打ち合わせー本題第一章 けんさん」より)

 

「けんさん」するのに欠かせない要点がいくつか書かれてある。日々の自分のことを棚にあげてざっと読んでいくと、ウムウムなるほどとなりがちになるが、真摯に向き合っていくと、なかなか容易ではなく相当の研鑽態度の自覚が必要だなとなる。

・「これが正しい、間違いない、真理だというものによって安定確保を求めようとする考え方からすれば、でなければ、不安定だとする考え方としてキメつけて動かない考え方には、実に不安定で、掴まえどころがないような、頼りなさを感じるものである。」

 おおかたの人も社会も安定・安心を求めていくのは自然の流れだと思う。化学的には、安定というのは 化学反応を起こしにくいことを示していて。 逆に、不安定というのは化学反応を起こしやすいということだそうである。また。外部の力が加わった時に元に戻ろうとするのが安定、元の位置から遠ざかるのが不安定ということになる。

「けんさん(会))の面白味は、異質な考え方(人)に反応しつつどこまでも探求し続けることで、自分自身の初期設定の思考が、広がったり深まったり変容したりすることにあると思い、一種の化学反応だと比喩的にみたててみた。ただし、変容するというのは必ずしもよい結果をもたらすということではなく、その後も探り続けるということで、ここが「けんさん」の欠かすことのできない要点となる。

 

・「これで間違いないとキメつけた最終のキメつけでなく、一旦最終的な、変わらないものと思っても、なお間違いかどうかの検べる余地の残されたもので、どこまでもどこまでも、間違いあるかもしれないとして検べようとする観方、考え方、とり方、実験、また実験等を通して検討する、正しいかどうかを究めていく。実験に出たからといって正しいとキメつけない観方、考え方である。」

 このことを心底していこうとするには、どこまでも疑い・問い・調べ続けようとする思考の体力、容易に結論にいたらない不安定状態への知性の耐性、自分の観方に対する自省心、他の観方を受容する柔らかな情緒などにともなって自分の意見をそのまま言う、他の考えを価値判断つけずに聴く、それらが研鑽態度となるのだろう。

 日頃の話し合いなどを思うと、現実的にとてつもなく難しいと思われるし相当な自覚と覚悟がいるだろう。


『全集』には異質な考え方をする10人ほどの「理念研鑽会」をはじめ数々の研鑽会記録を掲載してある。

 特に山岸が亡くなる前の年からとびとびに数日かけて9回続いた「理念研」(全集五・六所収)は、様々なやりとりのなかで、「ヤマギシズム」なり、山岸巳代蔵の考え方が語られていくというふうになっていて、各出席者の生々しい息づかいが伝わってくる。そして全部ではないとしても、上記にあるようなことをわたしには感じさせてくれる。特殊な設定のなかではあるが、特講でも幾分かは味わっている。

 

 もっとも簡潔に要点を言いあらわしたものとして、『百万羽子供研鑽会』から「研鑽会」の一部を抜粋する。
・「研鑽会は、先生やおとなの人、みんなに教えてもらうものではありません。また、教えてあげるものでもありません。自分の思っている考えをそのまま言って、間違っているか、正しいか、みんなの頭で考えます。ですから、先生が言うから、みんなが言うから、お父ちゃんが、お母ちゃんが、兄ちゃん、ねえちゃんが言うから、するから、そのとおりだとしないで考えます。(中略)
 本当に自分も良くなろうと思えば、みんなが良くならなければ、自分が良くなることが出来ませんから、みんなが良くなることは正しく、そうでないものを間違いとしてきめていきます。そうして、みんながそうだとわかるところまで考えてきめます。その中で、そうでないと言う人や、わからないと言う人が一人でもいれば、みんなでもっと考えます。
 こういうようにして、一つ一つみんながそうだと言うところまで考え、正しいことを実行していきます。間違っていたらすぐあらためます。
 そこで、人がしないからしない、あの人に言われるからしない、あの人がするから自分もする、というのでなく、人のことを言わずに正しく考えて、自分から進んでするのです。
 こうして自分自分が考えて、正しいことを実行していくのですから、ごまかさずに、だまさずに、わからないことはわからない、知らないことは知らないと言って、だれの言うこともよく聞き、一生けんめいに考えます。そうして何事をするにも、自分だけのことでなく、みんなのこともよく考えて、正しいことは、先ず自分から実行して、みんなが仲良い、住みよい社会にしていきます。(『全集三巻』『百万羽子供研鑽会』p356より)」

 

 この資料は、後の実顕地構想につながる「百万羽科学工業養鶏」の建設で、参画者が子どもなどを伴って一家で参画してきたころ、子どもたちも増えてきて、そこで使用されていたようだ。

 全集刊行にあたって、山岸巳代蔵の著述についてできる限りもらさず掲載するように心がけた。だが、相当山岸が関与したと思われるものも、署名がないもの不確かなものについては参考資料として掲載するようにした。

『百万羽子供研鑽会』は、山岸の関与が相当濃いものだと思われるが、その意を受けて他の人が作成したものを吟味してできあがったのかまではわからない。わたしは山岸の著述の一つとみなしていいと思っている。

 この資料を読んで、「研鑽会」のようなよく説明しようとするとギクシャクした表現になりがちな概念を平易な日常生活語で子どもにもわかる表現ができるのだなと思う。中学生ぐらいになってある程度論理的に考えられるようになれば、どのような人にも考えることができるように表現するのは、優れた思想の条件だと思う。勿論そうでないからといって、優れた思想ではないとはいえないが。

 

・「研鑽会は、先生やおとなの人、みんなに教えてもらうものではありません。また、教えてあげるものでもありません。自分の思っている考えをそのまま言って、間違っているか、正しいか、みんなの頭で考えます。」

・「そうして、みんながそうだとわかるところまで考えてきめます。その中で、そうでないと言う人や、わからないと言う人が一人でもいれば、みんなでもっと考えます。こういうようにして、一つ一つみんながそうだと言うところまで考え、正しいことを実行していきます。間違っていたらすぐあらためます。」

・「こうして自分自分が考えて、正しいことを実行していくのですから、ごまかさずに、だまさずに、わからないことはわからない、知らないことは知らないと言って、だれの言うこともよく聞き、一生けんめいに考えます。そうして何事をするにも、自分だけのことでなく、みんなのこともよく考えて、正しいことは、先ず自分から実行して、みんなが仲良い、住みよい社会にしていきます。」

  資料から三か所を取り出してみたが、これは子どもに限らず、大人にとっても「研鑽会」になっていく必要条件である。むしろ観念漬けで縛られている大人よりも、子どものほうが素直に受け取れるかもしれない。あえて述べると、ヤマギシズム運動に限らず、異質な人たちと暮らしていく社会生活においても、このような心のあり方で生きていける、話し合いができるのは大きなことだなと思っている。

 

〇理想はどのようにいかされたのか
 一貫して、山岸さんの生命線「研鑽」に照準を当てて考え続けている全集刊行・編集委員の吉田光男氏の論考『元学園生の手記を読んで』の中で、この資料も紹介しながら、当初の「教え育てるのではなく、子ども自らが学び育つ」との学育理念に照らしつつ、それと真逆のことをしていた学園の実態に触れて次のように述べている。

 

「こうした子どもたちを世話しようとすれば、大人は自分たちの考えで子どもを律することなどできることではない。導くよりも何よりも、世話係はまず子ども一人ひとりを知り理解する努力から始めなければならない。子どもに教えるのではなく、子どもに学ぶことが学育の出発点なのだと思う。しかし、これは口で言うほど簡単なことではない。また、配置で誰でもができることではないだろう。それだけの能力と情熱と感受性を備えていなければならない。学園にはそれをやりぬくだけの人材は用意されていなかった。しかし、何よりも問題なのは、学園の方向が学育理念とは懸け離れたものになっていたことである。」(吉田光男『元学園生の手記を読んで』より)

 

 わたしは研鑽学校をはじめ、いくつかの部門や研鑽会で数多くの世話係を担当した。 大概の研鑽会では交通整理的な役割も含めて世話係りがいるのだが、わたしを振り返ってみると、何かとチョッカイを入れていたと思う。

 研鑽会に限らず、様々な部門や職場にも世話係がいたのだが、日々の暮らしのどのような局面においても、どのような立場、役割の人と関わるにしても、〈同格〉の人間関係でともに考え、検討し、行動していくことができなければヤマギシズム社会にはなっていかないだろう。

 一つの具現方式として「自動解任」(半年ごとに全員対象で任を解かれ、希望も勘案して、検討を重ね、新たに各所の任につく)の仕組みが設けられ行事化していた。それの目指すところは、各部門の陣容が固定化しないように、あるいは新たな部門が立ち上がるのにあたって、様々な角度から見直し、検討し、一人残らず新たな気持ちになって任につくというような意味合いがあったのだと思う。

 私がいた頃の実際の展開は、各実顕地全体を見ている人事部(5~6人程で構成されていて、しばらく私もその一員であった)が、各職場の世話係や、全国にある各実顕地の調正世話係からそれ用の資料が送られてきて、それをもとに検討して、配置を決めていた。

 専門分業による「任し合い」の運営方式のもとに、その人事部の陣容はほぼ固定化していて、特に影響力のあった人はその任に居続けることになる。

 配置決定は一方通行的な色合いが濃く、もちろん一人ひとりの持ち味を考慮する面もあったが、各部門が円滑に機能するようなところからみる意識が強かったと思う。 それに納得しない人の見直しの再提案も少しはあったが、押し切られることもあったと思っている。結局形骸化していたというしかない。

 山岸さんが「もっとも頼りない人が世話係に相応しい」とよく言っていたというのをK氏から聞いていたが、『全集』をざっと見たところでは、確認することができなかった。(※知っている人がおられたら教えてください)

 

 この稿では、私が思う山岸巳代蔵が描く理想の具現方式として「けんさん」を軸に考察してきた。
 まず思うことは、「けんさん」を生命線にしているヤマギシム運動に共鳴し参画したわたしは、その理想をまともに受け取って、試行錯誤をしながらでも実際顕現していくことを中途半端にしていた、あるいは真っ当にやろうとしていなかったといえるかも知れない。ある程度それがやりやすい立場、役割に携わっていたにも関わらず、そのことにとりわけ忸怩たる気持ちがある。

 山岸巳代蔵が描く理想の具現方式「けんさん」生活を真摯に解明し、それを真っ当にしようとしなかった一人ひとりの日々の集積が、その構想と甚だかけ離れた実顕地の実態になっていったとも言えるのではないだろうか。

 次の課題として、「けんさん」に限らず「ヤマギシズム」をどのように受けとってきたのか、どのように実際の暮らしで顕現していったらよかったのか、それを阻害するものは何だったのか、どのように語ったらいいのかも含めて今後に活かしていくのはどんなことなのかというようなことがでてくる。徐々に考えていこうと思っている。

 

【参照資料】
※本文中の資料をあげておく。
〇(ヤマギシズム社会の実態から)18知的革命私案(一)の10「具現方式」によって
 ヤマギシズム社会の実態ー世界革命実践の書》は、一九五四年一一月二二日~三〇日にわたって執筆され、『山岸会・山岸式養鶏会会報・第三号』(一九五四・一二・三〇、以下『会報三号』)誌上に発表された。署名は山岸巳(山岸巳代蔵のペンネーム)。〈解説・ヤマギシズム社会の実態(一)〉、〈知的革命私案(一)〉、〈一卵革命を提唱す〉の三論文より成り、その後、『ヤマギシズム社会の実態・世界革命実践の書』(以下、『実践の書』初版一九五六・四・二〇発行)に収録された。(以下略)

 

・10「具現方式」によって
 次に述べる方式は、私としましては、実現可能の確信を持っていますが、私はもとより全知全能の特別人間でもなく、学問・知識・体力・技能・経験の程度のいずれもが、低く浅いことは充分自覚しておりますし、かつ何らの地位・資格・特権を持っているものでもありませんから、次に述べる具現方式を、教え・押しつけ・命ずるものでなく、これは私案であって、私と同じ考え方を持っている人で、同じ途を行かんとされる方と、横の人(中心とか、竪・上下の人でなくて)として堅く手を握り合って、共同の目的を達成したいと思って発表する次第です。
 なおこの方式に不備な点や、間違ってある点を、相共に見つけ出して、最上の方法に修正さるべきだとも思います。私を神仏化したり、絶対者扱いをする変り者や、中心指導者と思い違いをしている言葉をよく聞きますが、これは大変な誤りで、このような間違った観点に立って事を進めると、偏った方向へ進み、宗教的になったり、独裁者が出来たり、分裂したりして、いつかは潰滅します。
 この革命案も、私は幾千億かの世界人のうちの、細微な一人にすぎない立場から提案しておるのですから、私案に屈従盲信されずに、虚を衝き、偽りがあれば暴露し、反駁を加え、大いに教えられることは、私の最も願わしきところとするものです。
 私は、他を圧迫し、暴力によって自己の所信を強行せんとする改革を、暴力革命と云い、他と共に検討同意して、人類の高い知性に基づく平穏改革を、急速に行わんとするものを、知的革命と称することは曩に述べましたが、理論のみを唱えて、方法を持たないものを、抽象方式とし、理論を現実に具体化し得るものを、具現方式と呼んでいます。
 この知的革命には、具現方式を伴っていまして、理想社会を急速に成就さすために、具現方式を実践します。
(『全集二巻』「解説ヤマギシズム社会の実態(一)」-「18知的革命私案(一)の10「具現方式」によって」p 69)

 

〇『編輯計画について』「本題 第一章 けんさん」
 けんさんという言葉は、研鑽を意味するもので、研鑽とはいろいろの解釈が出来るだろう。これによく似た、或いは人によって、研究とか、究明とか、検討とか、探求、解明とか、文字の上でいろいろ言われているものとよく似た、或いは同意味と解釈できるものもあるかも分からないが、ここでは一般に研究とか、いろいろ言われるものに比して、最も深く真なるものを解明し、それに即応しようとすることの意味に解釈する。研究も同じように解釈できるか分からないが、この研鑽というのは、過去の文献だとか、実績だとか、それぞれの人の考えだとか、教書、指導書、研究発表などを基本としてやるのでない。間違いないものとキメつけて、それから物事を判断するものでない。哲学とか科学とか言われても、みなそれぞれ決定した、動かない基本体系を持ったもの。それを持たないもの……。
 研鑽は学問と違う。
 こう一応定義をしても、そのもの、キメつけたそのものでない。文字でも、言葉でも、学問でも、実験も、それらは含まれるが、そのものでもない。一応は定義づけても、それは一応であって、絶対間違いないと、不動のものとキメつけて変わらないもの、変えようとしないものでない。やはり、真に正しいことを期すために、どんなに真に正しいと思われることでも、立証されたから間違いないとか、正しいとか思っても、それは一応の段階的正しいとするもので、やがては正しくなかったという結果になるかも分からないとするもの。したがって、これで間違いないとキメつけた最終のキメつけでなく、一旦最終的な、変わらないものと思っても、なお間違いかどうかの検(しら)べる余地の残されたもので、どこまでもどこまでも、間違いあるかもしれないとして検べようとする観方、考え方、とり方、実験、また実験等を通して検討する、正しいかどうかを究めていく。実験に出たからといって正しいとキメつけない観方、考え方である。
 これが正しい、間違いない、真理だというものによって安定確保を求めようとする考え方からすれば、でなければ、不安定だとする考え方としてキメつけて動かない考え方には、実に不安定で、掴まえどころがないような、頼りなさを感じるものである。例えば、適切でないかも分からないが、これが正しいという理は分かっていても、正しい測定が出来ない。正確な場合もあるが、これが正確だとキメつけ、科学的に調べた、物理的に調べたといっても、これが絶対と言い切れないものである。
(『全集七巻』「編輯計画について」の「編輯計画打ち合わせー本題第一章 けんさん」p329)

 

 

〇(ヤマギシズム社会の実態から)解説・ヤマギシズム社会の実態(一)の第二章 構成
一 幸福研鑽会
1 幸福研鑽会とは
 幸福一色の理想社会を実現さすために、幸福研鑽会を設けます。そして、幸福は何処にあるやを見つけ出し、近隣・同業の反目をなくし、親愛・和合の社会気風を醸成し、何かしら、会の雰囲気そのものが楽しくて、寄りたくなるような機会ともします。
2 出席者は
 この研鑽会には誰でも出席できます。
 年令・性別・性格・知能・思想・人種・国籍・学歴・研究部門・職業・党派・所属団体・宗門・官公民・役務・階層・地位・貧富・好悪感・理論及び実現に対しての賛否の如何にかかわらず、助産婦も僧侶も、大臣も乞食も、みな同格で出席します。
ただ狂人・妨害者は寄れないことと、伝染のおそれある悪疾患者等は、別の機会を造って開きます。
3 研鑽事項は
 ここでは人類幸福に関する凡ての事柄について研鑽します。人間性・生命・遺伝・繁殖・健康・人格・本能・感情・思想・欲望・学問・教育・技芸・宗教・家庭・社会・経済・物・人種・国境・法律・制度・政治・慣習・風俗・美醜・善悪・互助・協力・取与・闘争・暴力等、及びその他百般の事項について検討し、真実のあり方と、その実現について研鑽するのです。
4 感情を害しないこと
 いかなる場合にも絶対腹をたてないことと、暴力を用いないことになってありますから、何を言われても悪感情を残さないこと、それから、誰もが思ったことを、思うがままに、修飾のない本心のままを、遠慮なく発言し、または誰の発言や行為をも忌憚なく批判します。
 政治批判も、人格批難(同席者の)も、差支えなく、そんなことで弾圧したり、腹を立てたらおしまいです。
5 命令者はいない
 特別人間や、神や、仏は仲間入りしていませんから、ある人を盲信し、屈従迎合しないことで、偉い人のお説教を聞くのではなくて、お互いの持っているものを出し合って、自分達で共によく検討し、一致点を見出し、実行に移すのです。提案はしますが、個人の意志により命令する者はいないのです。人間の知能を持ち寄れば、神や、仏とやら云う仮名象徴態や、絶対者がなくとも、人生を真の幸福にすることが出来ます。
 人間のうちにも、特に秀でた知能を持っている人もありましょうが、それもその人個人が築いたものでなく、幾代かの人間の因子の離合と、環境を与えた人達の集積の露面に過ぎず、その人のみが偉いのでなく、人類の知能の高さを示すものです。
 過去の人達が積み上げて出来たものを、自己の代で停滞・消滅ささずに、次代の繁栄・前進への素材として、よりよきものに練り固め、周囲及び後代へ引き継ぐことこそ生きがいというべきです。自分一人で大きくなったように、威張ったり、自慢したり、人に命令したりせず、現在以後の人々のために、最大効果的に役立たすことを研鑽するのです。これが自分を大きく生かすことにもなります。(以下略)
(『全集二巻』「ヤマギシズム社会の実態」の「解説・ヤマギシズム社会の実態(一)―第二章構成」p48)