広場・ヤマギシズム

ヤマギシズム運動、山岸巳代蔵、実顕地、ヤマギシ会などに関連した広場

◎「アズワンネットワーク鈴鹿コミュニティ」について

※、これを掲載した2015年12月に「アズワンコミュニティ鈴鹿」は、2016年7月に「アズワンネットワーク鈴鹿コミュニティ」と、名称が変更された。

〇「アズワンネットワーク鈴鹿コミュニティ」は、様々な方式で積極的に発信していること、そこに関心を抱き、共に歩み始めた人たちによる感想や体験記事などが多々ある。ここでは、私から見ての、ある特徴をあげてみる。

 このコミュニティは、大きく二つの流れを受けている。

 一つは、山岸巳代蔵の思想の究明をもとに、その本質に迫った動きを目指した。もう一つは、山岸巳代蔵の考え方、実践方式に共鳴した人たちと始まった山岸会活動。そこから生まれたヤマギシズム実顕地が、山岸自身の思想とはなはだかけ離れていき、そこに疑問を覚え、見切りをつけた人たちで、このコミュニティが芽生えた。 

 多かれ少なかれ実顕地の理想に共鳴して参画し、励んできた経緯もあり、離れてみてより一層、不自由なことをしてきたことが実感され、そのことが新たな動きへの原動力になった面もある。

 当時(2000年以前)の実顕地は、いろいろな問題を起こしていて、特に学園生に対する酷い扱いが明らかになっていくとともに、このコミュニティに寄ってきた人だけではなく、大量の離脱者を産んでいた。

 このコミュニティに寄ってきた人たちの中で、主に進めていた人たちの最初のよりどころの一つが、山岸巳代蔵の思想の根本に立ち返ることであった。そこから、山岸が描いた大元の基盤、研鑽科学生活と理念の研究、試験活動を、研鑽科学研究所と生涯研鑽生活制度の研鑽ライフセンターに、それを基盤とした研鑽コミュニティを立ちあげっていった。

 一方、実顕地に対しての数々の疑問から、そういうことを繰り返したくない人、嫌な思いを抱いているというような人も集まっていた。殆ど、資金を持たずに実顕地を離れて実際の生活をするのは並大抵のことではなく、元の仲間たちのところに寄っていきやすい面もあったのだろう。

 

 その後2010年頃になると、実顕地の動きとは全く関係なく、それらの活動に共鳴、注目する人も増え続け、山岸巳代蔵の思想はそれとして、それまでの活動実績、研究実績、現社会の状況などから、活動の内容をより本質的なものにせんとの、様々見直しをすることになる。

 具体的なこととして、山岸の思想の根幹である「研鑽」という言葉を使用することをやめて、活動・研究実績に相応しい名称として「SCIENZ(サイエンズ)」を称することになる。

 その後の展開はウィキペディアに、ある程度まとまっている。

 これらのことから、私独自の見解ではあるが、いくつかのことを考えてみる。まず、数々の問題おこした実顕地についての捉え方に大雑把に三通りあると思っている。

・そこで起こった問題にきちんと向き合い分析し、二度とそのようなことが起らない、起こさないという意識のもとで、解明することが欠かせないとの立場。15年以上たった今でも、困難を抱えている元学園生が少なからずいる。

 私はこの立場をとっている。間違っていたこと、おかしなことだったことと、きちんと向き合うことで、思想が成熟しているとも思っている。しかし、告発的になっていくことだけは避けたい。また、知人の中には、実顕地に所属しながら、その問題に向き合っている人もいて、その動きも大事にしたい。

・実顕地のことは、過去のことで、そこの体験からいろいろ思うことがあっても。現在から未来にかけての自分の生きかたに焦点を合わせて行く立場がある。このような人が多いのかとも思っている。

・アズワンコミュニティ鈴鹿のように、実顕地のこととは関係なく、争いのない誰もが快適に暮らせる社会の実現を描き、研究、実績を重ねていこうとする人たちもいる。

 そして現在、このコミュニティに注目している人、寄ってきた人たちで、ヤマギシ会も山岸巳代蔵についてもあまり知らない人も結構多いのではないだろうか。

ここの動きのなかで、生涯学究制度の「サイエンズスクール」と「サイエンズ研究所」に注目している。

 山岸会活動の具現化の一つとして1956年始まった「特別講習研鑽会(特講)」は、多くの人に影響をもたらし、この運動の大きな推進力として働いた。徐々に、実顕地の動きに伴って、通り一遍の固着したものになっていった経緯がある。

「サイエンズスクール」、「サイエンズ研究所」の動きを見ていくと、研究の積み重ねで、生涯学究制度として機能していきつつあるのではないかと思っている。いくつかの感想文から、特におそらくヤマギシなど関係ない青年たちが、用意された環境で、充分に向き合い、調べ、深めていく様子がうかがわれる。

「研鑽」という言葉を使っていても、私の所属していた頃の実顕地のように、それとかけ離れたことをしていることもあれば、「研鑽」の言葉は一切使ってはいないが、山岸巳代蔵が描いた「けんさん」・「研究機会」と重なるものを、このコミュニティに感じることもある。少なくとも、検証のしがいのある動きだと思う。

 今年知人たちが、現在の幸福会ヤマギシ会の特講や研修会に参加し、いろいろ考えられたことが、メールなどで伝わってきた。現在のことに関しては殆ど知らないのでコメントは控えるが、日々の暮らしを離れて、じっくり調べる機会、仕組みがあることは、よく生きていくことに欠かせないのではないかと思っている。