広場・ヤマギシズム

ヤマギシズム運動、山岸巳代蔵、実顕地、ヤマギシ会などに関連した広場

◎「言うことと聞くこととのあいだ」 吉田光男

〇山岸さんの言葉にこういう文言がある。

「どうもはき違い、聞き違いがずいぶん多いわね。正確に聴き取ったという人は一人もない。みな、謂ったら誤解や。それがずいぶん邪魔するということね。『わしはあの人をこう聞いた』といっても、言った人の気持ちと同じということは絶対ない。どんな澄み切った鏡に映しても、逆さに映るのやぜ。『山岸がこう言った、こう言った』といっても俺かなわんぜ。……せめて同じ方向の誤解ならましやけど、全く逆方向の誤解が相当あるね。その人が喋ったら、『自分の考えを言ってる』と、これ以外にないやろね。……誤解が全部であり、曲解が相当あり、逆解釈もずいぶんあるということでかなわんが。」(「第9回理念研」全集第6巻318頁)

 

 この第9回理念研は、1961年4月3日から4日にかけて名古屋市の加藤巷二宅で開かれたもので、ちょうど亡くなる一か月前の発言である。そして5月3日、岡山の会員宅での高研の席上で倒れ、亡くなる際には「本当の本当は通じないままに死んでしまうのかな」という言葉を遺している。

 この岡山での研鑽記録を収録した全集第4巻の編集の席上で、福里美和子さんから、母親の柔和子さんからは「本当の本当は伝えないままに死んでしまうのかな」と先生が言われたと聞いている、という話が出された。「通じないままに」と「伝えないままに」では、意味するものが全く異なってくる。果たしてどちらが本当なのか。刊行委員会としては、奥村通哉さんの記録をもとに「通じないままに」を採用して、「伝えないままに」は脚注に付記するにとどめた。

 このように全集を編集する過程で、何度もこの「通じないままに」という言葉に出会っているにもかかわらず、言葉の意味するものをそれほど真剣に考えることがなかった。しかし最近になって、「これは他人事ではない。まるで自分に言われた言葉ではないか」と思うようになった。しかもこれは、山岸さんと当時の会員との間のことだけではなく、人と人との間の、言うことと聞くこととの間の深淵について語っているようにも思われる。

 もう一度「通じない」と「伝えない」の中身の違いを考えてみると、「伝えないままに」には「言わなかった」「伝えそこなった」という意味が含まれている。言えば伝わるはずなのに伝えなかった、あるいは伝えるべき人がいなかった、ということになる。一方、「通じないままに」のほうは、言っているにもかかわらず真意が伝わらなかった、通じなかった、というニュアンスになる。私はやはり「通じなかった」が本当だろうと思う。奥村きみゑさんの話によれば、よく山岸さんが自分の胸を指さしながら「早くこの胸の中のものをみんなに持っていってほしい」と言っていたそうである。真意というものは、言葉や文章によるだけでは決して伝わるものではない。言葉をどんなに正確に受けとっても、言葉に込められた真意を受け取ることは不可能に近い。「どんな澄み切った鏡に映しても、逆さに映るのやぜ」という山岸さんの言葉は、この伝達不能の現実に直面しての嘆き節のようにも聞こえる。

 

 研鑽学校では古くから「聞く態度」「言う態度」を研鑽テーマに取り上げている。けれども、これが人と人との越えがたい溝を前提としたテーマであるとはあまり認識されていないように思われる。もっと浅いところで、少し態度を改めれば通じ合えるかのように、「お互いに心しようね」といったところで終わっていたのではないだろうか。少なくとも私の受け取り方はそんなものだった。だからしばらくすると、通じ合えない悲哀を再び味わうことになる

 しかし、なぜなのだろう? なぜ人と人とは真底から心を通じ合わせることが困難なのだろうか。そんなことをあれこれ考えてきて、ふとある知人の病床を見舞った時のことを思い出した。死の床に横たわるその人の言うことを言葉として聞きながら、その人が心の底で思っていることや伝えたいことを果たして聴き取ることができただろうか、ということである。万感胸に迫る人生の最期の風景から漏れ出す言葉の一滴に、その人の心の内にあるはずのものをすべて読み取ることなど到底できることではない。もっと簡単な日常的なことで言えば、同じ景色を見て、「きれいだねえ!」と同じ感嘆の言葉を発したとしても、人それぞれの心に映し取った景色やその背景からの感受は全く異ったものなのである。

 もしかしたら、人と人との間は通じ合わないのが本当の姿ではないか。通じ合うように思い込むのは、錯覚なのではないだろうか。その錯覚の上で「わかった」と思ったり「なんてわからぬ人だ」と非難したり、攻撃したり、喜んだり、悲しんだりしているのではないか。そのようにも思う。

 なぜ人と人との間には深くて暗い溝が立ちはだかっているのか。なぜ心を通じ合わせることが至難の業なのだろうか。恐らくそれは、人がそれぞれ自分の心にその人だけの宇宙をかかえており、外界の出来事や相手の言葉をその宇宙に映し取ることによってしかコミュニケーションが成り立たないからではないだろうか。この心の宇宙は、胎児期を含む生まれてからの時間と空間のすべてから形成されており、その宇宙こそがその人がその人であり、その人でしかありえない立ちどころでもあるのだ。この宇宙は、経験や知的蓄積や情緒の深まりなどによってたえず変化進展し、その人の死と共に消滅する。ある人の心の宇宙は他の人の心の宇宙と完全に重なることはありえないし、交換することもできない。そして心の宇宙はこの世に存在する人の数だけ存在する。

 

 心の宇宙を構成する時間と空間は、地球が存在するこの宇宙の時空とは違って、何かの物差しで測ることはできない。つまり、数量化することはできない。誰もが経験したことがあるように、嫌なとき、困ったとき、失敗したときなど、時間が無限の長さに感じられ、逆に空間は狭まって、牢獄に閉じ込められたような感じを受ける。だから、ミヒャエル・エンデは童話の『モモ』のなかで、心の時間は「時計やカレンダーでは計りようがないのです」と語り、人々の心から人生の中身を奪い取る効率やスピードといった時間泥棒(灰色人間)と戦う重要性を語ったのだ。

 人は自分の心に映しとった映像をもとにして世界を理解する。そして自分の見た世界を本当の世界であるかのように認識している。つまり、人間は自分の見たいようにしか、あるいは聞きたいようにしか、相手を、そして世界を認識できない。これは人間、あるいはもっと広げて生物というものの宿命なのであろう。にもかかわらず、自分の認識した世界が現実の世界であるかのように錯覚するのも、生物としての人間の宿命であるのかもしれない。問題は、このことにどれだけ自覚的であるかということである。

 仏教の世界には“法灯”という言葉がある。仏法の神髄は経典や師の言葉からは伝えられない、あくまで師に従い、一挙手一投足から学び取る厳しい修行を通して辛うじて法の灯が伝わるということであろう。禅宗では、曹洞宗の只管打坐、臨済宗の公案など、言葉や説明の一切を排した修行が義務づけられている。しかし、修行によって先師や宗祖の教えがどれほど身に着くのかはわからない。

 よく戦争体験や原爆体験の風化ということが問題になる。「風化させてはならない」とどんなに努力しても、風化は避けられない。戦争の体験や原爆に冒された体験は、あくまでそれに出会った人個人の中に沈潜し、その人自身の心の宇宙に深く刻みつけられたものだからである。語られる言葉は理解できるとしても、体験しないものに体験したものと同じだけの深い心の傷跡を残すことはできない。僅かに可能だとすれば、それは想像力の力によって自らの心のうちにそれを再創造することであり、読んだり聞いたりの一過性の行為によっては不可能なことである。

 

 山岸さんが始めた特講というのは、山岸さんの人生体験からつかみ取ったものを、誰でもが疑似体験できるように仕組んだ画期的な講習である。言葉や理屈ではなく、誰もがそれぞれの人生体験に基づいて、自分なりに体験し、理解・納得できるシステムである。しかし、これはあくまで出発点にすぎない。自分の心の宇宙を少し覗いたというにすぎないのだが、私たちの多くがそれだけで何かがわかったように思い込んでしまっている。こうして、特講を受けた会員も参画者の多くも、浅いところでの達成感や満足感から、出発点のはずの特講を到達点であるかのように思ってしまっているのではないだろうか。“ゴールインスタート”ではなく、“ゴールイン”になってしまっているのだ。

 本題に戻れば、人と人、言うことと聞くこととのあいだの越えがたい深淵を前にして、私たちはどうすればそれに通路をつけることができるのか。人と人との間の共同性を築くためには、どうしても心の通い合う通路を通さなければならない。そのためには何が必要なのか。そこに用意されているのが、山岸さんによる研鑽である。研鑽とは、話し合いではなく、打ち合わせでもない。研鑽会を開くことでも、討論会でも、ミーティングでもない。では、それらのすべてとも違う研鑽とはいったいどんなものなのか。

 

 昔、もう40年以上前のことだが、日本棋院から囲碁の初段免状を貰ったとき、「今後ますます研鑽を重ねるように」という一文が書かれていた。数年後、特講でもこの研鑽という言葉に出会った。気を置いて見ると、仏教や技芸の書物にはこの言葉がよく出ている。

 研鑽は、辞書によれば「研ぎ穿つ」の意で、ものごとの理を究めることを意味する言葉である。恐らく山岸さんは、この研鑽という言葉に、「一切の主観、前提、決めつけ等を持たずに、つまり零位に立って、真理を究めること」という意味を持たせたのだと思う。これは、まず一人ひとりに自らの心のあり様、研鑽態度を問うことを出発点としている。そうした研鑽態度で臨もうとする人々が寄って、初めて研鑽会が成り立つ。だから、人が寄って自己の見解を述べ合うだけなら、ミーティングとは言えても研鑽会にはならない。一人ひとりの研鑽があって初めて研鑽会が成り立つのであって、研鑽会があるから研鑽できるわけではない。しかも、研鑽は私たち一人ひとりがそれを自分の生き方にするかどうかにかかっている。そこには到達点もなければ終着点もないのである。

 このように、研鑽の生き方をするかどうかは私たち一人ひとりの自由に任されており、仕組みによっては解決しようがない問題である。この研鑽生活を促すために、研鑽学校が用意されているが、研鑽テーマが固定化され、マニュアル化されることで生命力を失う恐れが出てきている。私自身はここ何年間も研鑽学校に行っていないので、実態はわからないが、参加者の誰からも日常生活で研鑽テーマを追い続けているという姿を垣間見ることがない。「易しく簡単に」ということで、研鑽の〈生き方〉が研鑽の〈方式〉に置き換えられて、形式化・儀式化されていないかどうか。

 

 心の宇宙を穿ち磨くはずの研鑽が形骸化するとき、心の宇宙は生命力を失い、固定した見方でしか相手を見ること聞くことができなくなる。そうして、言うことと聞くこととのあいだは、深淵で隔てられる。共同性にひびが入り、一体が妨げられる。

 不完全・過ちだらけの人間である私たちが、自分自身に言えることは「研鑽している」あるいは「研鑽できている」ではなく、「研鑽しているだろうか」「研鑽できているだろうか」と自らに問いかけることでしかない。「本当はこうだ」ではなく、あくまで「本当はどうか」と問いつづける以外にない。その旅の途上で一生を終わる。心の宇宙を閉じる。

 山岸さんは「第2回理念研」のなかで、山本英清さんの「僕は『公意行』がもう一つ分からんが……」という問いに「公意そのものがいい加減なものだとしてかからんと、危ない」と語り、「『まあまあ』で『せめて』というのが入るのやぜ」とも言っている。(全集第2巻・207・209頁)

 人間の世界に“完全”や“絶対”は存在しない。“言った””言わない“ ”聞いた““聞かない”と断言できるものは何ものもない。「自分の思いをどれだけきちんと言えただろうか」「相手の言わんとすることをどれだけ聞き取ることができただろうか」という反省の上に立って、“まあまあ”そして“せめて”と互いを認め合って、少しでも仲良しの世界を広げることではないかと思う。それだけが、言ったことと聞いたこととのあいだを繋ぐか細い架け橋になるのではないかと思うのだ。 2015年12月 吉田光男  

2015年12月20日記