※この論考は知人F氏のブログ『ビジョンと断面』に、吉田光男さんが2012年8月に投稿、掲載されたものである。(ブログは現在閉じられている)
〇私があなた(※F氏)のことを記憶しているのは、30年以上前であったか、北海道から春日山に移って最初の飼育研の際に、「養鶏部では鶏糞管理と言っているが、この管理という言葉はあまり好きではない。何か適当な言葉に変えられないか」と提案したときのことです。管理というのは統制という言葉と直結しているようで、なるほどと感心したことを憶えています。どんな言葉に変わったかは憶えていませんが、しかし言葉が変わったほどには中身が変わったとは思えませんでした。
この「言葉」の問題で、鈴鹿のOさんと話し合ったことがあります。私が「最近鈴鹿では“研鑽”という言葉を廃止してしまったが、真の意味で研鑽しようとするときにどういう言葉を用いるのか」と聞いたことがあります。Oさんは「うーん、検討かな……」という返事でした。ここ数年の間に、鈴鹿ではヤマギシ用語を廃してどんどん新しい言葉を作り出しています。中身のない手垢の付いた言葉を使わないというのは、確かに一つの見識かもしれません。そしてアズワン・PIESS等、横文字や新造語が多用されるようになりました。しかし、私には疑問が残ります。なじめないのです。
かつて出版界に身を置いていたとき、差別語の問題が大きく取り上げられたことがあります。次から次へと言葉を他の言葉に変えてゆきましたが、それで差別がなくなることはありませんでした。言葉がどうでもいいとは思いませんが、問題は表現の仕方よりはその中身にあります。手垢の付いた言葉はそれを無くしたり改造するのではなく、手垢を落とすことこそが大事なのだと思います。
では、実顕地の中では言葉の手垢を落とすようにしているかと言えば、ほとんどしているようには感じられません。研鑽、一体、仲良し、幸福、理、私意尊重・公意行、自然、人為、調和……等々、これらの言葉が日常的に飛び交えば飛び交うほど中身はどこかに消え失せ、ただ白々とした空白だけが広がってゆきます。空白に心が満たされるとき、心の中の時間は停止し、外側を流れる時間に身をゆだねることになります。惰性の生き方です。
自分自身を振り返ったとき、ずいぶん惰性に身をゆだねてきたな、と思います。“真理”と言えば、何か自分が真理を掴み、それを体現しているかのように思い込んだり、“進歩”とか“革命”と言えば、自分が進歩・革命の側に立っているかのように錯覚してしまう。言葉は幻想を生み、錯覚を育てる、そして使い慣れると空白に満たされる。
かつて日本は言霊の幸う(さきはふ)国と言われていました。言葉に魂があるとして、一つひとつの言葉に磨きをかけていたのです。しかし、今や言葉は記号に過ぎなくなりました。そのような言葉によって伝えられるものは、思想ではなく情報に過ぎないのです。では、言葉にいのちを吹き込むにはどうあったらいいのか。
一つの例が、先日紹介した大道寺将司の句(『棺一基』大道寺將司全句集・大田出版)です。
先行きのあてどは読めず蜷の道
なほ残る未練の嵩や帰る雁
死刑囚という身を40年近くも監獄で過ごしながら、毎日が死と向き合う暮らしの中でなお生を見つめてゆくというのは、私には想像もつきません。いつ看守の靴音が自分の房の前で止まり、「支度しなさい」と声がかかるか。ほとんどの人は表情を失い、能面のようになってゆくそうです(これは心が強制的に空白にさせられた状態とでも言ったらいいのかもしれません)。辺見庸は、大道寺のその生き様を「日々死ぬ気をたしかめては生きている」と表現しています。
80にもなればいつ死んでもいいようなものですが、とうてい「日々死ぬ気をたしかめて生きる」ことなどできません。やはり内側の時間が外の時間に流されているのです。しかし、かなわぬながらも言葉を確かめ、深めてゆきたいと願っています。恐らく自分の内部に掘り下げた深さだけ、外に向かって届く距離が長くなるのだと思います。内に向かわない言葉は、単なる音声となって消えてゆくのでしょう。
使い慣れた言葉には埃が溜まり、やがて意味を失った記号になり、風化してゆきます。ソクラテスの言うドクサと化します。言葉を探り深めることは、心を探り深めることでもあります。こうしてこそ言葉に言霊が生じ、人と人との交流が可能となります。研鑽が可能な土壌が生まれます。
言葉は人と人を結びつける絆にもなりますが、永遠に交わることのない平行線にもなります。
井上ひさしは、言葉について次のようなことを書いています。
「むずかしい言葉を易しく、易しい言葉を深く、深い言葉を面白く」
井上作品がこれをどれだけ具現化したかは判断し切れませんが、味わい深い言葉です。
今日は「研鑽」について書くつもりが、言葉の問題で終わってしまいました。
(2012年8月記)