広場・ヤマギシズム

ヤマギシズム運動、山岸巳代蔵、実顕地、ヤマギシ会などに関連した広場

(4)忘却願望と記念碑 第18共徳丸から (福井正之「述懐」より)

○広島原爆忌の前日5日、宮城県気仙沼市長が打ち上げ漁船「第18共徳丸」の保存断念を表明していた。 それは私には、おそらく広島の子どもらが、その『誓い』において述べた心と対極にある決断だと感じた。くり返すが、そこにはこうあった。<――だから、あ…

(3)風化と記憶のはざまに 広島原爆忌から (福井正之「述懐」より)

○8月は暑いだけでなく重い。例年の原爆記念日から終戦記念日に至る一連の流れ、がである。 68年も経っているのである。マスコミは「風化させてはならない」と例年と同じく語り続ける。そして世代交代という次のぺ―ジを示すのである。 しかもマスコミは「…

◎実顕地について、今の時点で思うこと。⓶

○親しくしているBさんの<ヤマギシの交流の場>の提言を読んで、改めて私にとって「ヤマギシ」について考える機会となった。私は、現実顕地で活動している人たちとも交流しているし、離脱者や深く関わった当時の青年たちとも交流を重ねている。現実顕地で活…

(2)イデオロギーと「人として」の意味(福井正之「述懐」より)

(2)イデオロギーと「人として」の意味 前回紹介した門田隆将「死の淵を見た男」の記述の中で私が最も共振したのは、巻頭にあった以下のセンテンスだった。 「本書は原発の是非を問うものではない。あえて原発に賛成か、反対か、といった是非論には踏み込…

◎山岸巳代蔵や実顕地について、今の時点で思うこと。

○親しくしているBさんから次のメッセージがありました。 《FBでヤマギシというグループ作りました。山口さんのヤマギシの広場のFB版みたいなものですが、是非山口さんの知見もお聞かせくださいませ》 そこで、大事なことだと思うこともあり、簡潔に現在…

(1)福島第1原発元所長吉田さんの死から(福井正之「述懐より」)

○述懐、という言葉が浮かんだ。これまで書いてきた論考とか、随想とか、手記でもない何か。このところそのようなスタイルに収まらないようなものが溜まってきたような気がする。だが、捌け口が見えない。それはこれまでなかったいろんな人との交流の中で、新…

矢野智司本かじり歩き(5)戦後教育の転換と宮沢賢治

○すでに随所で間接的に触れているが、感動体験(生成体験)とは人間にとって、人生にとって、いいかえれば教育にとっても何なのか、についてここでもう少し視野を広げて述べておきたい。 それは先回最後に紹介した「蕩尽は聖なるものを呼び起こし、『全体的…

矢野智司本かじり歩き (4)生成としての遊び 実顕地草創期の世界

○先回の主旨は、子どもは遊ぼうとして遊んだわけではなく、何をやっても遊びだった、ということである。 しかし遊び自体は子どもとは区別すべき概念である。そのことを矢野氏は「(子どもには)自分が遊んでいるというより、遊び自体が生き物のように自己展…

矢野智司本かじり歩き(3)子どもの遊び領域

○矢野智司本かじり歩き (3)子どもの遊び領域 「贈与と交換の教育学」より *『愛児へのおくりもの』について 先回、矢野本の「ボランティア」についての記述から体験学習の意味を考え、さらにそこからそれほど予測できたわけではないが、ヤマギシの学育、…

矢野智司本かじり歩き(2)感動とは教えることができない

矢野智司本かじり歩き(2)感動とは教えることができない 「贈与と交換の教育学」より 先回、「感動体験」と言いうるもののおおよその枠組み、構造を探ってみた。今回はその少し外延を考えてみたい。 先回のキーワードの一つは、「深い感動は言葉にはならな…

◎福井正之さん1周忌にあたり

〇福井さんが昨年死去されて1年が経ちました。 私のやれることとして「福井正之記録集1」をつくり、何人かの方には読んでいただけたようですが、もっとも嬉しかったのは、奥様から電話があり、感謝のこもった心が伝わってきて、先ずはよかったなと思いまし…

わが人生の再構築(福井正之記録⑱)

※『わが学究 人生と時代の “機微”から』の2018年6月に、【(62)人生と人間の〝再構築〟――夫婦のこと】【(63)われら元〝種族〟の「人生再構築」について】を掲載している。この2編は実顕地離脱後の「人生の再構築」について述べている。 - ◎人生と人間の〝…

「使用価値」だけの、金の要らない社会の現存(福井正之記録⑰)

※『わが学究 人生と時代の “機微”から』では、2017年9月に、【(12)難しい本はまずルーズに読む イリイチ訳者註】【(13)「自立共生」のイメージを深めるための数編の引用】に続いて【(14)「使用価値」だけの、金の要らない社会の現存】を掲載している…

自分の仕事とは(福井正之記録⑯)

※2017年8月に、ブログ『自己哲学第2章 反転する理想』から『わが学究 人生と時代の “機微”から』に変えて、改めて自分の仕事をふり返った。その第1回、2回の記録である。 - はじめに (1)自分の仕事 ブログを始めるきっかけになっているのは、ソロー『森の…

いつまで過去にこだわるのか (福井正之記録⑮)

※『回顧―理念ある暮らしその周辺』の➂⑬に再度掲載された。このブログは『時空遍歴』からの転載。「時空遍歴」について福井氏は次のように述べている。 〈現在の私は認識の基本軸において、過去は同時に未来および現在であり、その逆も真であることをしっかり…