広場・ヤマギシズム

ヤマギシズム運動、山岸巳代蔵、実顕地、ヤマギシ会などに関連した広場

(46)問い直す⑤ イズム、イデオロギーへの嫌悪と見直し(福井正之)

〇 <自己存在観>(自分を知る)に関わるテーマBと<真理(真実)観>(ヤマギシ批判=自己批判)テーマAの統合などという少々大仰なテーマを打ち出したところで、また吉田光男さんの文章に舞い戻る。吉田さんの場合Aが主題であって私のような区分けは特にないようだが、Bの表現も随所に顔を出す。もう<統合>などと言わなくとも、A主題のなかに自在に組み込まれているようだ。

「わくらばの記」終りの方で息子さん一家の訪問を受け、お孫さんから「鋭い質問」を受ける場面が印象的だ。

〈――じゃあ、幸せって何か。

「その質問に全部答えることは難しいが、最近考えたことを言うと、自分を知るということが大事な一歩かと思っている。宇宙の話を聞くと、宇宙空間に存在する物質やエネルギーはほとんど未知なるものと言われている。その90パーセント以上は、不明の物質やエネルギーで、それを暗黒物質とかダークエネルギーと言っている。同じように、人間の心の宇宙もわかっていない。つまり、人は自分が何者であるのかもわからぬうちに、一生を終えることになる。それにもかかわらず、みんな自分は自分だとわかったつもりになっている。じゃあ何を以って自分だと思っているかというと、自分以外の何か――例えば財産とか名誉とか地位とか知識とか――そういうものが自分だと思っているのではないか。しかしそうした自分以外のもので自分を幸せにはできない。それでは、おじいちゃんは自分がわかっているかと聞かれると、とうていわかっているとは言えないけれど、わかっていないことが分かったとは言うことができる。だから自分の心の中を旅する努力をしているが、それが楽しい。そこに生きがいを感じている」

 そんな話をして、たぶんよくはわからなかったと思うが、真面目に答えたことの何かは伝わったかもしれない。〉(251p)

 私は感嘆した。若い頃のイメージでいえば「ここに人生の教師がいる!」という感動に近い。お孫さんとはいえ一人の真摯な若者に向き合ったときの老学究の心の緊張がよく伝わってくる、臨場感あふれる表現だ。しかも宇宙科学的真理からの導入のように、私には到底できないようなスケールの大きもある。そのベースにある吉田さん自身の心の喜びや生き甲斐を通して、私が縷々述べながら果たしえなかった<自己存在観>のリアリテイーを見事に表現していただいたような気がする。

 直ちに思い出されるのは、記憶の細部は不鮮明だが高等部「学究」があった頃のことである。新島淳良さんがたしかマルクスの「剰余価値」や「疎外された労働」について語り、それに興味津々食いついてきた学園生の存在だった。そしてその「学究」が停止されたとき、本庁にその疑義を問いかけに行ったメンバーがいたことを知ったのも、ごく最近のことだった。当時<実学一本で行く>というその世界知というものに無頓着かつそのどうしようもない発想の貧しさにおそらく愕然としたであろうが、私にそれ以上何かしたという記憶はない。

 ともかくそのことを踏まえながら、吉田さんのA主題<真理・真実>に立ち戻る。吉田さんのいろんな切り口が覗かれるが、たとえば私には最も解りやすかったのは、鈴鹿の資料『asone 一つの社会』への疑問である。

〈納得できるところ、同調できるところはたくさんある。しかし疑問は残る。それも根本的な疑問である。疑問というのは、「もともと」とか、「本来」という言葉で言い表される中身だ。「人間本来の姿=幸福」・・・「もともと安心安定」「無いのが本当」 (中略) 私は今「本来」も「もともと」も棚上げして、自分のあるがままの姿を見つめ直すことに重点を置いている。「真理とされるものから出発する思想は、一種の原理主義になりうる。〉(135~136p)

 このような発想は前述した私自身の2000年当時の<真理観>にも符合し、私はそこから「わが全心身で嗅覚でき、かつ実感できる真実」に依拠するようになってきた。しかし私はそれを全肯定しているわけでなく、それも容易に一種の<実感信仰>になりやすい。改めて吉田さんの論述の厳密な手つきに感銘する。 

 しかしそれよりも何よりも私の最大の関心は、いわゆる「イズム」という表現で括られる世界のことである。私はそこをまず保留状態というか、この<善にも悪にも変貌する得体の知れない>思想へのある種の嫌悪感からそれをすっ飛ばして、「いったいこの自分とは何なんだ」という問いに直接向かった。こういう「正体不明のイズムなるものに取りつかれてしまった自分」という形容をつけながら。

 私も吉田さんと同様、マルキシズム(私たちのような年齢であれば誰しも心当りがあるであろう)というイデオロギーに執着した前歴がある。私はそれに懲りてとことん愛想尽かしをしてきた分野だったはずである。にもかかわらず内容はちがえ「○○イズム」に再帰してしまった。しかも私とちがって吉田さんはなおイズムへの希望を失っていない。

「思想が思想として成立するには、それが世界性を持ち得るかどうかにかかっている。世界性とは、普遍性である。一つの考え方、一つの論理が、何ものかを代表するイデオロギー性を持ちうるとしても、ある地域、あるグループ、ある時代を超えて通用する普遍性を持ちえないとすればそれは思想にはなりえない。」(125p)

 吉田さんはそのように問いかけながら、かつ山岸さん自身の、人々の誤解、キメつけによる宗教・信仰・盲信形態への恐れを紹介される。その上で、さらに自らの従来の信じキメつけへの反省にもふれながら、以下のようにまとめられる。

「ヤマギシズムが思想としての世界性を持ち得るかどうかは、決めつけのない前進無固定の、研鑽形態の思想として、私たちがヤマギシズムを再生しつづけることができるかどうかにかかっている。」(127p)

  何という苦渋に満ちた語りであろうか。私には、申し訳ないが言葉つきは優しくともこれは<鬼のような頑強な執念>にも聞こえる。その表れの現実をどこにも確認しようのないただ中で、(他のどこかにあるのかもしれないが)ただ存在しうるのは吉田さん自身のその語りのことば(魂)とその可能性だけである。私のなかでもすでにそのことばない。以下は私の<ぶっちゃけ>開き直りである。 

〈たぶん私は「転向」したのである。(中略)そもそも理想、大義、真目的なるものへの参画と称し、人生の総てを最初から(あるいは中途からでも)自縛・他縛するようなことは、どこか虚偽があると思うようになった。その流れは必然的に子どもの未来をも束縛するのだ。そういう簡単な真実を知るのに、私には二度の挫折が必要だった。一度目は学生運動、二度目はヤマギシ。よっぽど大バカでも三度目はない。普通人にとっては、そこまでできるほど人生は長くはない。〉(「ジッケンチとは何だったのかⅡ」)

  急いで(私の中では長い時間がかかっている)註釈を入れれば、この「転向」とはあの時期ではごっちゃだった<ジッケンチ>イズムからであって、必ずしもヤマギシズムからではないと思い返している。しかもこのようないわば<私的な>ことは、公開せずとも私自身が黙って巷に消えていくだけで充分なことであろう。私がここでいまだ山岸さんの語りやイズムについては一知半解でしかないが、あえて言上げしたいのはやはり吉田さんが死守(かつ死後守)もされてきた「真なるヤマギシズム」であり、なかんずくその「けんさん」の真実の可能性である。何も一同会して語り合うことばかりが「けんさん」ではない。 

 私のいわばこういう<屈折した>志向には、なにがしかの偶然が伴ってきたと感じる。あの<ジッケンチからの逃亡>は当時は強いられた偶然だったが、その前にはたしか幼年部拡大推進マシーンと化した自分の疲労感と徒労感がびっしりこびり付いていたはずである。おそらくムラ離脱後の無我夢中の精神的営為がそのことを<わが必然>と化してきたと得心する。前にも触れたようにそのことに後悔はないが、吉田さんの心の営みにはどこか深い敬意と魅かれるものを覚える。その吉田さんも長い間特講や研鑽学校の係をやってこられたいわば<偶然>が、現在の自(他)究明へと熟成されてきたのかもしれないという必然を感じてしまう。ふと浮かんできたのが、ずっと死ぬまでアテネの広場を離れることなく問いかけ続けてきたソクラテスのことだった。

  おそらく人は死してのち心近くにあった人に、またこれまで以上の何かを呼び覚ます。このお孫さんへの語りを読み返してみると、「おじいちゃんは自分がわかっているかと聞かれると、とうていわかっているとは言えないけれど、わかっていないことが分かったとは言うことができる」とある。これこそ「無知の知」ということなのではないか。あらためて「けんさん」を人類の普遍的古典智からも捉え直すことができそうな気がしてくる。(続く) 2017/5/30

参照・◎吉田光男『わくらばの記』(9)(2018-08-13)
  ・◎吉田光男『わくらばの記』(10)(2018-08-13)
  ・◎吉田光男『わくらばの記』(17)(2019-02-13)