広場・ヤマギシズム

ヤマギシズム運動、山岸巳代蔵、実顕地、ヤマギシ会などに関連した広場

◎『回顧―理念ある暮らし、その周辺』について

〇今年7月から福井正之さんが、それまでのブログ『わが学究、人生の機微」を中断し、新たに、『回顧―理念ある暮らし、その周辺』として再開しました。
 その経過は、2019年07月06日掲載の「ブログ再開の弁」に書かれています。

 現在まで45編の記事があり、㉜~㊳まで「わが初期ジッケンチ論」、㊴~㊸まで「幼年部」について述べています。

 当ブログでは、ヤマギシズム運動のさまざまについて私の見解を述べるとともに、吉田光男さんや福井さんに呼応していきたいと思っています。

 なお、福井さんのブログはhttp://okkai335.livedoor.blog/ で、当ブログからリンクを張っています。

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〇福井さんの新ブログ再開について思うこと。

 連載は2014年6月の「《在った事》を《無かった事》と為す」という福井さんのヤマギシズム運動、具体的にはジッケンチに参画するに至った経緯から始まり、離脱後の生活実感から得た感覚的根拠、ジッケンチでよく使われる、理念、理想、純粋贈与、特講、怒り、個別研などを、離脱後の暮らしの出来事と照らし合わせながら、埴谷雄高、E・ホッファー、ドストエフスキー、プリーモ・ㇾ―ヴィ、イリイチ、石原吉郎などの論考や阿久悠、吉野弘、長田弘の詩にふれながら鋭い考察を加えていく。

 また、日常的に起こってくる、日々の暮らし、友人との付き合い、身内のこと、教え子、老い、死、災害、弔いなどで自分の内面に生じてくる戸惑いなどを含めて語られていく。

 最初のころはブログ「ビジョンと断面」に掲載されていた、2014~16年頃の論考集『時空遍歴』からの再録が主ですが、そこに次の言葉がある。

「時空遍歴」(10)「いつまで過去にこだわるのか―」(2014/8/29)
・「後ろ向きに歩みながら、遠ざかっていく<あの景色>をあれこれ考え記述してきた」
・現在の私は認識の基本軸において、過去は同時に未来および現在であり、その逆も真であることをしっかりと肯定する。
・こうして私はこのページのタイトルを「時空遍歴」と名づけ、そこに過去―現在・未来往還自在の境地を込めたつもりである。