広場・ヤマギシズム

ヤマギシズム運動、山岸巳代蔵、実顕地、ヤマギシ会などに関連した広場

◎2000年の実顕地からの大量離脱について②

〇その頃の実顕地の流れ
 1993年にオールメンバー研鑽会が始まる。この研鑽会はSさんが中心となって『実践の書』を資料として詳細に検討しながら進めていく。
 開催する中で、次第に山岸巳代蔵が描いた構想と現状の実顕地が随分かけ離れていったとの認識が強くなっていくような人が出てくる。

 1997年頃になると、税務調査、ヤマギシズム学園に対する世間からのパッシングが強くなり、参画者離脱後の財産返還が裁判沙汰になることが続く。
 1998年になると税務調査による「ヤマギシ会200億円の申告漏れ」などが発覚する。その後、杉本利治氏は病的な鬱状態になり、やがて死去する。

 そのあたりから、S氏の構想に共鳴する人が多くなり、また、「村から街へ」の動きが、大きくうねり始め、街へ行く人が次々と出てくる。
 その後、今の実顕地を根底からつくりかえねばならないという強い要望がある一方、今の実顕地をよさを守りながら、徐々に変えていこうというような人たちも出てくる。
 オールメンバー研で今の実顕地を否定するような動きが活性化し、そこに「村から街へ」行った人も参加し、その動きに共鳴する人も増えていった。

 あまりにも図式的だが、その一連の動きが大量離脱の大きな要因だと思っています。そこに「村から街へ」行った人たちが、離れてみて実顕地の息苦しさを感じる人が多くなり
 また、従来から疑問を感じていた人が、合わさり、2000年の動きになっていったのではないでしょうか。
 その動きに共鳴した人の中に、今まで各部署で進めていた人が多くいたので、生産職場でいそしんでいた人や地方の実顕地の人はかなり戸惑っている人も多いと思います。

〇脱退者について
 2000年に限らず、北試時代から離脱者はかなりいて、特に家族持ちでない青年たちは、出たり入ったりしたと思います。高等部を卒業した人は、参画といってもよくわからないままの一つの手続きであり、離脱者の数に入らないと思います。
 なお、一連の動きとは関係なく、ある段階で見切りをつけた人もかなりいると思います。

 また、高等部1期生のF一家のように、実顕地に戻った人、K夫妻、M子さんなど、再参画した人もいます。
 ちなみに、S夫妻は、両親のこともあり離脱していないと思います。そのように「村から街へ」の人の中にも、実顕地所属のまま離脱していない人もいます。
 吉田光男さんのように、疑問を抱えながら踏みとどまっている人もある程度います。

                    • -

〇関連年表
1993年2月:オールメンバー研開催(2000年2月第34回まで続く)
 世話係として、Sさんが一貫して担当する。
 5月:オールメンバーの誓い(17名の発表)-以後毎年続く1998年まで続く。
 10月:『自然生活』に松本繁世氏「私のみたヤマギシズム社会の実態」掲載。
 この年新参画者348名で過去最高記録

1994年6月:「ヤマギシを考える全国ネットワーク」結成・代表松本繁世氏
 12月:『ヤマギシズム学園の光と影』「ヤマギシを考える全国ネットワーク」編・発刊
1995年1月;「ヤマギシ会」→「幸福会ヤマギシ会」に会名変更
1996年11月:吉田通昌著『循環農業の村から』発刊
1997年9月:「ヤマギシの子供を救う会」活発化。税務調査始まる
 12月:米本和広著『洗脳の楽園』発刊

1998年1月:モデルメンバー研開催(99年11月第12回まで続く)
 4月:ヤマギシ会200億円の申告漏れ(追徴課税60億)
 10月:9月度のオールメンバー研から端を発した「村から街へ」の動きが、10月度のテーマになり、新たな動きへと大きくうねり始め、街へ行く人が次々と。

1999年3月:実顕地から試験場、研鑽学校を切り離しそこ独自の活動をするための数名の新配置。
 この後、上記のメンバーは次第に脱退するようになる。
 7月:実顕地をもたらしに世界中の街へいこう(ストリーム掲載)
 11月:杉本利治氏死去。(税務調査以後、鬱的な状態にあり実務に携わっていなかった)
 12月:気の合う仲間で実顕地を起こそう。国内各地町にも村にも実顕地を(ストリーム掲載)
 12月28日:第33回オールメンバー研(実顕地を離れて活動している22名の参加)

 離脱後、鈴鹿地区で「実践の書」研を継続的に開催。
 そこに、現実顕地の方向に疑問を感じている人や「村から街へ」を行った人たちが次々と参加して、その動きに共鳴する人が増えていく。
2001年:鈴鹿市にかなりの人が暮らすようになり、家族的なコミュニティが確実に広がっていく。
2004年1月:人間社会研究所→2007年・研鑽科学研究所→サイエンズ研究所が基礎となりサイエンズスクール鈴鹿・アズワンコミュニティなど機構が整っていく。

参照:本ブログ2019-08-08記 (43)「問い直す② 2000年頃の私(たち)から」