広場・ヤマギシズム

ヤマギシズム運動、山岸巳代蔵、実顕地、ヤマギシ会などに関連した広場

◎吉田光男『わくらばの記』(4)

わくらばの記  病床妄語③

〈2月15日〉

 体調の変化なし。念のため、胸と腹部のレントゲン、異常なしとのこと。放射線は、あと2回を今の部位で、その後の10回は位置を少しずらして照射するという。 

 世間では離婚が多い。ヤマギシの村でも同じだ。若い人ばかりではなく、年を取ってからの熟年離婚もある。私もそういう危機を感じたことが何回かある。そうして今思うのは、男女は結婚したからといって、すぐに夫婦になるわけではなく、夫婦へのほんの出発点に立ったに過ぎないということだ。夫婦というのは、一生かかって夫婦になり合ってゆく過程の一齣なのだと思う。生まれも育ちも考え方もいろいろ異なる男女が一緒になるわけだから、噛み合わぬことが多々出てきて当然なのである。という当然のことに気づくのに、ずいぶん時間がかかった。 

 吉野弘の「祝婚歌」は、こう歌い出す。

「二人が睦まじくいるためには

 愚かでいるほうがいい

 立派すぎないほうがいい

 立派すぎることは

 長持ちしないことだと気付いているほうがいい

 完璧をめざさないほうがいい

 完璧なんて不自然なことだと

 うそぶいているほうがいい

 二人のうちどちらかが

 ふざけているほうがいい

 ずっこけているほうがいい

…………………………」

「真の夫婦」などとシャチホコばらないほうがいいということか。

  シェイクスピア『アントニーとクレオパトラ』読了。

 

〈2月16日〉

 体調の大きな変化はないが、今の点滴には脂分が含まれていないので、それを補うために左手にも点滴をつながれた。これで左右両手の点滴チューブ、鼻からの栄養剤チューブと三方からのチューブ攻め、いよいよ身動きが取りにくい。まさしくチューブ人間の誕生である。こうしてチューブによって生かされていると、いかにも自然に反することだと思わされる。といって自然にそって生きようとすれば、食が摂れないから餓死する以外にない。では、自然と人間の関係はどうあったらいいのか。調和をどこに求めたらいいのだろうか。

 どうも人類というものは、自然から生まれたものでありながら、自然からはみ出すことによってしか存続できぬものらしい。3~400万年前にアフリカの森林を出て、サバンナに進出したわれらの先祖は、火や石器という道具や武器を持たずには捕食者たちの牙から逃れることはできなかった。そして、20万年前には自らをホモ・サピエンスに進化させて、ますますその知能と武器を磨き、農業や牧畜、やがては工業などの文明・文化を急速に発展させてきた。自然に依存しながら、一方では自然を破壊したり食いつぶしたりしてきた。実に矛盾した存在である。しかし、その矛盾を生きる以外に人類が生き延びる道はないのだろう。

 では、「自然と人為の調和」とはどういうものなのだろうか。どうあったらいいのだろうか。最近よく使われる「持続可能な社会」というスローガンも、目指すものは同じなのだろう。

 チューブにつながれながら、そんなことをしきりに考えてしまう。

 

〈2月17日〉

 体調、特に変化なし。

 確か98年頃のことだと思うが、社会博に鶴見俊輔さんが見えられた。村を参観し、高等部の劇を見た後、「けんさん」紙のインタビューに答えて「成功は失敗の母」という言葉を残していった。

 その時は「へー」と思っただけで気にも留めなかったが、何年か経ってから、その言葉の重みが胸にこたえてきた。当時はヤマギシズム運動の絶頂期である。実顕地の名称、山岸会の名称を変更して、社会革命への大きな前進を謳い上げていた。この様子が鶴見さんの目には「危ない!」と映ったのであろう。

 成功は、成功の体験からは生まれない。失敗によてこそそれは可能になる、そして真理の方向もまた失敗から逆照射されて初めて見出すことができる、という鶴見さんの哲学に基づく発言であったように思う。

 

〈2月18日〉

 体調は悪くない。しかし、体は大分なまってきた。 

 鶴見さんは、先の「けんさん」紙とのインタビューの中で、もう一つ「人類は滅びるね」とも語っていた。当初なかなかピンとこず、「そういう考え方もあるのかな」ぐらいの受け止め方しかしていなかった。というのも、当時の私は、科学や人類社会の無限の進歩というものを、どこかで信じていたからである。

 しかし、21世紀に入ると世界は急速に変わり始めた。アメリカにおける同時多発テロ、それをきっかけとするアフガン、イラクへの多国籍軍の侵攻、日本では東日本大震災と福島の原発メルトダウンが起こり、その後も世界はアラブの春から一転してアフリカ・中近東を巻き込む内乱の続発と難民の大量発生に見舞われ、それが今なお収まりそうもない。そうした中で、欧米諸国はイスラム過激派によるテロリズムの脅威にさらされている。こうした事態を見ていると、人類社会の無限の発展などということが夢のまた夢のように感じられてくる。そして「人類は滅びるね」という鶴見さんの発言が、やたらと身近に迫ってくる。

 人類史上、これまでも何回か人類滅亡の終末論がささやかれたことがある。ノストラダムスの大予言ではないが、隕石の衝突や核戦争、また地球温暖化や環境汚染といったさまざまな要因が上げられたりしてきた。

 そうしたさまざまな終末論の中で、池澤夏樹氏の『楽しい終末』は、テクノロジーの進歩と人間の倫理とのギャップから、それがやってくるのではないかと論じている。私の今の終末観も、それに近い。

 科学や技術を含む人間の知識というものは、急速に進歩してきたし、これからも無限に進歩しつづけることは間違いないだろう。というのは、知識やテクノロジーは、記号化・数量化が可能であり、いくらでも個人の頭の外に蓄積することができる。後世の人間は先人の蓄積したもの、到達した地点から新たに出発することができる。しかし、人間性というか、倫理というか、個人の内面にかかわるものは、その人個人の成長の過程で自ら形成してゆく以外にない。釈迦の到達した心の地点を、自分の心の出発点とすることなど、到底できないことなのである。しかも、個人の内面がどのように形作られるかは、環境や偶然に左右されざるを得ない全く頼りないものなのだ。こうして、科学やテクノロジーという数千年にわたる膨大な蓄積物を、個人の倫理や心という僅か数十年の頼りない蓄積物が支えてゆくことになる。やがては支えきれない時が来るのではないか、いやすでに来つつあるのではないか、というのが私の最近の感想である。

 仏人類学者のエマニエル・トッド氏は、朝日新聞記者とのインタビューで、「宗教的な信仰が解体する中で、いまニヒリズムが世界的な広がりを見せている」と語っているが、これも終末的な現象の一つなのかもしれない。 

 船戸与一『満州国演義⑤』読了。

 

〈2月19日〉

 体調、特段の変化なし。 

 堀田善衛は『方丈記私記』の中で、運命と歴史を分け、鴨長明は無常観を述べているように見えて決して運命論者ではなかった、と述べている。ところで、運命と歴史とはどう違うのだろうか。

 私の大雑把な考えでは、運命には時間が含まれていないが、歴史には時間が含まれる、というか時間の織りなすものが歴史なのだと思う。つまり、人類史の先行き(運命)がどうなるにせよ、そこに至るまでの過程で人間がどう生き、どう行動するかが問われる、それが歴史であり、そこから歴史への責任が生じるということである。だから、終末観にしても、それを運命としてあきらめの思想に終わらせるか、それに立ち向かう歴史観として確立するかが大きな分かれ目になるのではないだろうか。

 山岸会の趣旨および会旨には、そうした歴史観と高い理想性が含まれているように思う。しかし、理想を失えば、単なる生活集団に堕し、市場経済の荒波に呑み込まれてしまう。 

 

〈2月20日〉

 体調はほとんど変わらないが、幾らか軽くなった感じがする。 

 最近つくづく思うことは、事実と認識とのズレという問題である。どうしても認識は、事実のずっと後にやってくる。

 例えば90年代末に、村は学園問題でマスコミからの総攻撃を受けた。特にテレビでは日本テレビが、週刊誌では「週刊新潮」が、「ヤマギシの子どもたち」についての報道を繰り返した。これらの報道にはかなりの悪意が含まれてはいたものの、真実の部分も少なからず含まれていたように思う。しかし私たちは、それを認めようとはしなかった。認めるようになったのは、ずっと時間が経過してからである。

 私たちは、やはり事実そのものを見るよりも、自分の見たいようにしか見ようとしないものなのだ。その事実がどれほど真実であろうと、それがその時の自分にとって受け入れがたいものであれば、それを拒否しようとする無意識の心理が働く。そして、こうした無意識の心理が働いていること自体を認めようとしない。自分の認識の経過を振り返ると、そのことが痛いほどよくわかる。しかもまだ、その誤りやすい認識の罠から抜けきることができないでいる。だから山岸さんが、どれほど研鑽しても「である」と断定できるものはなく、あくまで「ではなかろうか」とする以外にないのだ、と言っているのだろう。 

 シェイクスピア『オセロー』読了。イギリス人の誰かが「英国人に生まれた幸せはシェイクスピアを原文のまま読めることだ」と語ったそうだが、翻訳で読んでも言葉の魔術にかかったような酔いしれた感じになる。

 

〈2月21日〉

 体調の変化なし。 

 昨日は、事実と認識のギャップについて考えたが、認識と行動との間にも大きな懸隔があることを認めなければならない。個人の気質といったものが影響することもあるが、利害得失の感情が絡むと、その間の開きが一段と大きくなる。そして個人については、しばしば我執の問題として研鑽の対象になるが、集団の我執となると、なかなか研鑽の対象にはなりにくい。

 

〈2月22日〉

 体調、特に変化はないが、抗がん剤の投与のあと少し熱っぽい感じになる。 

 昨夜、NHKの「新映像の世紀」⑤を見た。テーマは「カウンターカルチャーの時代」。

 あの1968年を中心とする時代は、若者が既成の政治や文化に挙って反旗を翻した時代であった。日本やアメリカやフランスの学生たちが、ヴェトナム反戦に、公民権運動に立ち上がり、大学の学問支配体制に「ノン」を突きつけたことはよく知っていたが、プラハの春もこの流れの一つであったことは知らなかった。年表を見たら、プラハの春は同じ1968年の出来事である。どうも自分の頭の中は、西と東を別の世界のように分けて考えていたようである。こういう歴史認識だから、デヴィッド・ボウイが西ベルリンで開いたコンサートが、ベルリンの壁崩壊につながったことも知らなかった。

 しかし、あの時代には何か希望があった。時代の先に、何かが待っているような感じを大勢の人たちが抱いていた。ベルリンの壁が崩れ、壁の上で西と東の市民たちが歓喜の抱擁を繰り返した時の映像は、希望の象徴として今なお記憶に焼きついている。そして社会主義体制が崩壊し、ソヴィエトが解体した先には、戦争のない平和な時代が訪れると思っていた。鉄のカーテンが破れ、ベルリンの壁が崩れ去ったように、それがどんなに強固に見えようと、資本主義市場経済の壁も、所有の壁も崩れるものと思っていた。しかし、そうはならなかった。

 今は展望のないニヒリズムが世界を覆っている。その中で新たなナショナリズムやファッシズムが台頭しつつある。まさに世界は大きな岐路に立たされている。この時代をどう生きればいいのだろうか。山岸さんなら、いま何を言うのだろうか。

 

〈2月23日〉

 体調に際立った変化はない。 

 3年ほど前になるかと思うが、一時実顕地あげて木の花詣でに明け暮れたことがある。私もこの流れに乗って木の花を訪れた。一泊してここのミーティングに参加したとき、メンバーの人たちの熱意に圧倒される思いがした。ヤマギシではしばらく見られなくなっていた光景が、ここにはあるように思った。そこでしばらくの間、木の花から送られてくるミーティング速記録を熱心に読んだ。しかし、やがて疲れてきて、読むのをやめてしまった。

 何で疲れたかといえば、みんなが指導者であるイサどんの意見に同調する方向でしか議論を重ねていないからである。「正しい意見」はイサどん一人から出てくる。だから、誰もそれに異をとなえる人はいない。これは、信ずるという宗教共同体の宿命なのであろう。

 私は別に宗教や宗教共同体を否定するつもりはないが、自分としては、信ずる生き方ではなく、信じない生き方をしてゆきたいと思っている。また、指導者に従う生き方ではなく、みんなの知恵と理解の研鑽に基づく生き方こそ本当のものではないかと思っている。

 ただ、さまざまな共同体が各地につくられるのは悪いことではない。そしてそれぞれが覇を競い合うのではなく、手を取り合って今の競争社会、市場経済体制に穴を開けることができればと思う。

 

〈2月24日〉

 体調に大きな変化はないが、白血球が減少してきているという。今日、明日は抗がん剤なしということになった。 

 昨日のSさんの話し。「養鶏書」について話していたが、どこに焦点があるのかよくわからなかった。「養鶏書」がどんな目的で、誰を対象に書かれたものかを意外に知らないのではないかと感じた。

「養鶏書」の初版発行は昭和28年であり、増補改訂版が出たのが30年である。いずれにしても実顕地ができる前のことだから、実顕地のために書かれたものではない。対象は一般農家であり、目的は「丸いコメを増産する」ことを通して、みんなの幸せを実現することであった。決して卵の増産が目的ではなかった。

 だから飼養する鶏の羽数は、田畑が必要とする鶏糞量に応じて決めるように、くどいほど強調している。しかし、個々の利益に走る農家が多く、結局は失敗する人が続出して、山岸さんが願った「愛和の固い団結」は維持されなかった。そこで農業養鶏は打ち止めになる。

 いま「養鶏書」を読むとしたら、どこを重点に読んだらいいのだろう。やはり、序文にあるとおり「幸福の書」として読むことなのであろう。

「それには出発に先だって、真の幸福や、人生の正態を確かめ、本当の養鶏とはどんなものかを知っておく必要があります」

 この簡潔な言葉が何を言わんとしているのか、私たちはもっともっと探ってゆく必要がある。単に餌をやり、卵を取るだけの作業に終始していていいのか、卵が売れたら喜び、売れなければ失望するだけの生活でいいのだろうか、「自然と人為の調和」を謳い文句にしながら、どこに調和を求めるかを調べようとしない暮らしでいいのか、もう一度根本から調べなおしたい。

 

〈2月25日〉

 体調、変化なし。ただ少し鼻血が出やすい。今日も抗がん剤はなし。 

 昨日テレビで、83歳の男の死が報じられていた。78歳の妻の首を切って殺し、自分も自殺を図ったが死にきれず、傷の回復後、留置場に収容されていたが、食を一切摂らずに餓死したというのである。

 近所の人の話では、とても仲のよい夫婦だったという。妻が認知症を発症してから一人で世話をしていたが、自分も重い病気にかかって世話しきれなくなったらしい。

 今の世の中では、こうした事例がますます増えていきそうだ。人々の暮らしが個々に分断され、プライバシーや自己責任ばかりが強調されるようになると、その暮らしは互いに孤立無援なものになってゆく。認知症や重病を抱える夫婦にとって、自分の死後連れ合いを一人だけ残す気になれない気持ちはよくわかる。といって、行政がすぐさま解決できるというものでもないだろう。

 その点、ヤマギシの暮らしは優れている。一体の中で培われた共同性が、個の限界を乗り越えるからである。しかし、今のままでは、あと10年先には村も超高齢社会に突入する。それにどう対処できるか、今から考えておく必要があるのではないだろうか。

  シェイクスピア『リチャード3世』読了。

 

〈2月26日〉

 アメリカの大統領選、これまでにはっきりしたことは、大衆の既成政治離れである。「チェンジ!」を旗印に掲げて登場したオバマは、結局何も変えることができなかった。そして今回、既成政治とは異なる何かを求めて、アメリカ中が動き始めた。

 しかし、共和党のトランプ氏や民主党のサンダース氏が当選して変わるものかどうか。上下両院と大統領府が対立して、身動きできなくなるのではないだろうか。そしてもしトランプ氏が大統領に就任したら、周辺諸国や同盟国との間の亀裂が深まり、ヨーロッパ諸国のアメリカ離れが進むのではないかと考えられる。

 世界には「ノー」はあっても「イエス」がない。今までのやり方ではダメだとわかっても、これなら良いというものが見当たらない。展望なき否定の時代に突入しているのかもしれない。

 

〈2月27日〉

 昨夜は少々熱があった(37・8度)。朝も少し高めであったが、今は平常に戻った。

 私の参画前後に亡くなっているから面識はなく、又聞きの又聞きにすぎないが、春日山にTさんという人がいた。この人は昼間から酒を飲むし、みんなが働いている最中に釣竿をかついで遊びに出かけたりしていた。みんなが非難がましい気持ちで山岸さんに言ったところ、山岸さんは「あれは宝やで!」と言ったという。何人もの人からこの話を聞いているので事実なのだろう。しかし、山岸さんがなぜそう言ったかについては、誰も語ってくれなかった。ほとんど言いっぱなし、聞きっぱなしで終わってしまった。

 しかし、今その話を思い出すと、なぜ山岸さんはTさんを宝と言ったのか考えてみたくなる。山岸さんにTさんのことを告げ口した人は、恐らく「人が働いているのに昼間から何だ」と非難がましい気持ちでいたのではないだろうか。また同じその場にいた人たちもみな、そんな気持ちでいたのではないかと思う。そして心のどこかに、それを羨む気持ちが含まれていたかもしれない。

 だが、そうした非難めいた気持ちが起きて自分の気持ちが揺らぐとき、逆になぜ自分たちは全財産を投げうってまで参画したのか、何を目的にここにやってきたのか、と原点に立ち返るきっかけをTさんが与えてくれているのではないか。そう考えると、Tさんが少し輝いて見えてくる。また、ここには何ものにも縛られない自由というテーマもあるのかもしれない。

 とかく私たちには、少数派や異端に対して、否定や排除の気持ちを抱きやすい。私の参画してからの歴史でも、そうした事例はたくさん見てきたし、自分自身が異端裁判のお先棒を担いだこともある。これは、異端が間違っているからではなく、それが少数派だからである。間違いか正しいかは、数によって決まるものではない。にもかかわらず、私たちは大勢にそって少数派を排除しようとする傾向がある。異端や少数派を「あれは宝やで!」と言えるようになったとき、村は決めつけのない、豊かな社会へと変貌を遂げるのではないだろうか。

 

〈2月28日〉

 昨日から下痢、抗がん剤の影響らしい。 

 エマニエル・トッドの『シャルリとは誰か?』を読む。フランスについての知識が乏しく、宗教の社会基盤の変遷についてはあまりよく理解できなかった。 

 2000年代の初めに、k君ともう一人のk君がよく訪ねてきた。目的はSなる人物をぜひ紹介したいということだった。よく聞くとSさんというのは「真我」という集団のリーダーだという。そう言えば、そのころ村を出た人たちが大勢「真我」の講習を受けているという話は聞いていた。しかし、しばらくすると、今度はミロスとかいう集団に行く人が増えたとの噂話を聞くようになった。

 村を出たあと、多くの人たちが自分の精神のよりどころを求めてさまよっていたのであろう。わかる気もするが、私自身はそういうことには警戒心があって、まったく関心が持てなかった。

 とかく人は、自分の存在証明の証として、どこかに安心立命の精神的拠点を置こうとする。しかしそれは、自分の外に、或いは他者に求めて得られるものなのだろうか。何かの党派や教団や宗教指導者に頼ったところで、躓いてまた別の何かを探し求めることにもなりかねない。では、それをどこに求めればいいのか。

 そこで思い出すのが、釈迦が死の旅の最後にアーナンダに語ったという言葉である。「私はこれから何を頼りに歩んだらいいでしょうか」というアーナンダの問いに、釈迦はこう語ったという。

「アーナンダよ、他に頼ることなく、自らの心の灯を頼りに、犀の角のようにまっすぐ歩め」

 頼るのは、師である釈迦でも、教義でも、他の聖者でもなく、自分の心の中の灯だというのである。

 この話は、『鶴見俊輔コレクション』であったか、同じ鶴見さんの『隠れ仏教』であったかに紹介されていた話である。

 しかし、「自分の心の灯」とは何だろう。また「心の灯を灯し続ける」には、どうあったらいいのだろう。灯を灯し続けるには、油を注ぎ続け、芯を切りそろえ、煤をはらいつづけなければならない。これで終わりということがなく、一生自己を磨きつづけなければならない。他に身を任せてはできない厳しい道なのだと思わされた。

 

〈2月29日〉

 昨夜は、またチューブが外れ、シーツもパジャマもシャツも、薬液でびしょ濡れになった。夜中にシーツ交換と着替えでしばらく寝られず。

  昨日からの「心の灯」について考えているが、これはかなり厳しい。自分の過去を振り返ってみると、いつも何かに頼っていたように思う。若いころは社会主義やマルキシズムに、参画してからはヤマギシズムに、それも自分の信ずるヤマギシズムだからいい加減なものにすぎない。調正所や研鑽部の言うことが、正しいヤマギシズムだと決めつけてもいた。こうした他を信じ、他に頼る生き方からは、安心立命は得られない。だから、山岸さんは「山岸会事件雑観」の中でこう述べている。

「ヤマギシズムを知り、これこそ絶対だという人が沢山あるが、そうキメつける処に宗教・信仰・盲信形態が生れる恐れがあり、そう思い込んでキメつけるなれば、既にヤマギシズムでなく、こうしたヤマギシズムの考え方そのものをも、正しいか正しくないか分からないから、尚調べていこうとする考え方がヤマギシズムだと思う。ヤマギシズムがよいとキメつけない処がヤマギシズムだと思う」

 頼らず、信ぜず、決めつけない生き方こそ、自分の中の灯を灯し続ける生き方なのであろう。頼りない自分ではあるが、少しでもその生き方を踏襲していきたいと思った。