広場・ヤマギシズム

ヤマギシズム運動、山岸巳代蔵、実顕地、ヤマギシ会などに関連した広場

◎吉田光男『わくらばの記』(1)

※『わくらばの記』について

 昨年自らのブログを整理する中で、親しい知人からのお便り、メール、ブログなどから様々な示唆を受けていることを、改めて感じた。その中で、吉田光男さんと交流していて、昨年『わくらばの記』を自費出版した。それ以後、是非読んでみたいとの連絡を受け、自費出版ゆえの単価が高いこともありながら増刷を重ねた。要望は今も続いている。自分のところにとどめておくだけではなく、関心のある方には読んでみたらいいかなと思っている。

 そこで、「広場・ヤマギシズム」の目的に重なると思うので、そのブログに随時掲載していこうと考えた。はじめヤマギシ関連だけを取り上げようと思ったが、個々の記事はつながっていることもあり、配慮が必要な箇所は省略するが、できるだけ掲載しようと思っている。

 なお、吉田さんから推敲したものを最初の数か月は2週間ごとにまとめて、その後は月末に送られて来た。今のところそのペースで掲載を考えている。よろしくお願いいたします。

 

〇『わくらばの記』の記録から

〈病気の功徳ということを考えると、一番大きかったのは、ガンという病名を告げられた時に、「ああ、これで自分の死にざまが決まった」という覚悟ができたことだ。考えてみたら、あの世に持っていけるものなど何一つないし、自分を飾ったり、ごまかしたりする必要が全くないことにも気づかされたのである。無所有とか無我執というのは、頭ではわかっていても、なかなか身に染みてわかるところまではいかない。しかし、眼前に死が迫れば、いやでもそれを認めざるを得ない。知人の葬儀で死者に対面すると、ほとんどの人が仏様のような顔をしているが、恐らくすべてを放し切った心境になったからなのだろう。私自身は、まだまだその心境には遠いけれども、だいぶ楽になったことは間違いない。

 病気のもう一つの功徳は、病気をきっかけに自分の人生を振り返ってみようと思い立ったことである。何も誇るべきもののない、恥ずかしいような生き方しかしてこなかったが、その恥ずべき生き方を見つめ直せば、人間一般に通ずる何かが見えてきはしないか、と思ったのである。

 今は読みたい本を読み、書きたいものを書き、話したいことを話す毎日で、実に快適である。実顕地がそれを許容してくれていることは、本当にありがたいことだと思っている。このぶんなら、死の瞬間を最大の極楽境にできるかもしれない、と思ったりする。(『わくらばの記』―「ごまめの戯言⑥から)〉

                  

◎わくらばの記 (連載)

  〈2015・12・25〉  

 食道がんを宣告され、死が現実のものとして迫ってくると、やっと死に方が決まったかという、変な安心感も湧いてくる。不安がないといえば嘘になるだろうが、80を過ぎて同じ昭和ヒトケタ世代がどんどん亡くなってゆくニュースを聞くたびに、そろそろかなあ、しかし体は意外と丈夫だし、いつどんな形でそれが訪れるのだろう、と漠然たる不安を抱えていたのが、これで確定したかというおかしな安心感なのである。

 実に平凡な人生で、他人に語れるようなものは何もないが、残された日々をできるだけ楽しく味わいながら、日々の出来事や風景の中に自然と人生の機微を見出せてゆけたら、と思う。 

 

 〈12・29〉

 辺見庸の『1★9★3★7』の最初のページを開く。じんじょうならざる世界についてこれから語ろうとしている。これを読んでいるうちに、癌宣告に対する自分のおかしな安心感というものが、これからの世界、人類滅亡への歩みを見たくない、見なくてすみそうだという隠された願望にあるのではないかと思わせられた。 

 

 〈12・30〉

 食事の度に、喉につかえが生じ、食べたものがスムーズに流れてゆかない。昨日、今日と、咳き込んで吐き出してしまった。こいつは苦しい。こういうことがこれから多くなってゆくのだろう。食べられなくなれば、医師からは胃瘻の手術をするよう申し渡されるかもしれない。しかし、こいつは考えものだ。ベッドに縛り付けられたまま死を待つ生き方って何だ? しかしまた、食べるに食べられず、空腹を抱えたまま衰弱してゆくのも、やはりかなわんなあ、という思いも生じる。まあ、できる限りゆっくりゆっくりと食べ呑み込んでゆくことにしよう。

 こういう状態になると、今まで、食べ、飲み、消化し、排泄するという日常の当たり前のことが、つまり生体としての自分の当たり前の行為として何の不思議にも思わなかったことが、必ずしもそうではないと感じられるようになってきた。運よくそういうことができるようにさせてもらってきた、という感じである。宗教は信じていないので、神に感謝するということはないが、自分が一人生きてきたのではなく生かされてきたのだなあと思うのだ。

 まだ一期一会という心境ではないけれども、瀬戸内寂聴さんの小説『釈迦』の一節を思い出した。釈迦は最後の旅で、従者アーナンダにこう言う。

「アーナンダよ、この世は美しい。人の命は甘美なものだ」

 もし一期一会の心境になれば、自分の人生にとってたった一度きりの出会いであるすべてのものに「この世は美しい」と言えるのかもしれない。

 

(2016・1・3)

 新年を迎え、今日は誕生日、84歳になった。申年の年男であり、去る年にふさわしいのかもしれない。

『1★9★3★7』はずしりと重い。しかし、逃げるわけにはいかない。これを読むと、自分が書いている「学園問題」についての手記は、チンケで底が浅く、とうてい書き続けることができなくなった。もっと自分に向き合わなければ、書く資格も意味もない。

 辺見庸は、「なぜ」と問うことを続けている。物事の重要性は、説明や解明にあるのではなく、問うことであり、問いつづけることの中にこそ存在する。説明、解明、解釈、理論づけ、……それらはそれ以上の究明を放棄するときの弁明にすぎない。終わりのない過去を、つまり現在に続く過去に区切りをつけ、ごみ袋に詰めて捨て去るときに用いるのが、説明であり解釈である。説明の上手下手は、ごみ袋が上物か屑物かの違いにすぎない。

 

 〈1・4〉

 ルメートルのサスペンスもの2編を続けて読む。なかなか読みごたえがあった。特に最初の『嘆きのイレーヌ』は、読み進めるうちに何とかイレーヌが救われるよう願っている自分がいることに気づいた。

 テレビでも映画でも、主人公が無事だと安心する。ハラハラドキドキ、どんな危険に襲われても、主人公が無事だとほっとする。しかし、これは何なのだろう? しかも、勧善懲悪の要素を無言のうちに受け入れている。

 恐らくそれは、自己中心の見方・あり方を投影しているのだと思う。主人公が救われることは自分が救われることであり、善と悪との対立において自分が善の立場に立っていることを無意識的に仮想しているのである。子供の時に身に付けたものが、いつまでも意識の底辺に染みついて離れない。これは恐るべきことだ。

 

 〈1・5〉

 青本の一番最後に「全世界の頑固観念・我執を一時も早く抹殺しよう」という文章が載っている。この文の冒頭で山岸さんはこう言う。

「自分の目から見て逆に見えること、間違いに見えることでも、批評・批判・非難を口にすべきでなく、そんなに思う時は、自分が批評・批判・非難などできる自分であるかどうかを、まっさきに検べることである。」

 この文章を今まで何回読んできたことだろう。言っている言葉は誰にでもわかるのに、その中身はほとんど理解されていない。いや、私自身は理解してこなかった。字面だけの常識的な理解しかしてこなかった。

 他を非難することは、無意識のうちに自分を正しいと位置づけることであり、その瞬間に過ちの地獄に落ちる。実顕地の歴史の中で、これまで数々の間違いを犯してきたが、それは自らを正しいと位置づけたことから始まったのだ。例えば――

「実顕地は真実の世界」

「ヤマギシの生産物は本物」

「世界でただ一つの真実の学園」……

 これらのスローガンは、無言のうちにこう言っていることにほかならない。

「実顕地以外は偽物の世界」

「山岸以外の生産物は偽物」

「ヤマギシズム学園以外は偽物の学園」

 他を非難する意識無しに、他を非難し、夜郎自大に陥ってしまって、しかもそれに気がつかない。謙虚さの欠片もない。そのことにずーっと気がつかなかった。

 

 〈1・6〉

 自分を正しいと思いたい願望、これは根強い。あるいは正しくありたいという願望、あるいは正しいところに身を置きたいという願望、これも強く自分を捉えていた。

 そして実顕地が真実の世界であり、正しい存在であるならば、そこに身を置くことは正しい在り方であり、その真実の世界を推進(指導)する本庁なり研鑽部なりの方針に沿うことは正しい在り方である。…… 

 こうして、研鑽は名ばかりの会合となり、上から出されるテーマを理解するためだけの集まりとなった。正に真理は上から降りてくるのである。こうした大衆心理がピラミッド組織を下支えする。「特別人間はいない」「長のいない組織」のはずが、いつの間にか特別人間をつくり、長や指導者を生み出した。

 こうした誤りを、いま実顕地は克服したであろうか? あるいは、自分たちは、そしてまず自分は克服したといえるだろうか。

 

〈1・7〉

 村にはテーマというものがある。年表を見ると、最初にテーマが出されたのは1980年である。「ヤマギシズム文化の年を迎えて」がこの年の年間テーマであり、それに応じて毎月月間テーマが出されるようになった。これが20年続いた後、2000年に廃止され、一昨年から再び復活した。

 ところで、テーマとは何なのだろうか。テーマのある暮らしとはどういうものなのだろうか。テーマそのものについてはどう考えたらいいのだろうか。

 

 〈1・11〉

 PETctの検査の後、今度はプリンターの点検などで時間をつぶしてしまった。

 ところで、テーマとは何だろう? テーマのある暮らしとはどういうものなのだろう? 80年当時はテーマというものに新鮮さを感じた。漠然とした暮らしにしまりがつき、目標ができたと感じたのである。テーマが何を意味するかを考えるのも面白かった。しかし、次第にテーマを考えるのではなくテーマに沿うことを考えるようになっていった。私ばかりでなく、それが村全体の気風になっていったのである。こうなると、テーマは自分のあり方、村のあり方を考えるための材料ではなく、思考と行動の指針になっていく。思考と行動を縛る進軍ラッパの役割を果たすようになる。これは危険だ。事実、危険は危機に直結した。

 今またテーマが復活している。同じ過ちを繰り返さないだろうか。テーマを出す人は、どういう理由でそのテーマを考え、出しているのだろうか。

 

 〈1・12〉

 引っ越し準備のための本の整理が、ほぼ終わった。最初は手元に置いておきたい本がずいぶんあると思っていたが、いざ手放し始めるとどんどん減っていって、最後は20冊も残らなかった。本も家具も、あの世に持っていけないものだから、放せば放せるものなのだなあと改めて思った。

 ところで、ユートピアが世界のどこでも成立しないのは何故なのだろうか? 歴史上のすべての革命は、ほとんどが悲劇に終わっている。フランス革命も、ロシア革命も、中国革命も、理想とは程遠い姿に堕してしまった。また、さまざまな共同体や宗教団体も、理想を掲げ活動しているが、その理想がユートピアに近いほど、オウムのような悲劇に終わってしまう。

 ユートピアはなぜディストピアに終わってしまうのか。恐らくそれは、ユートピアが完全性を求めるからだと考えられる。この世に完全なるものは存在しない。にもかかわらず完全なるものを求めるならば、観念として描いた完全性と現実の人間の不完全性が矛盾をきたさざるをえない。その場合、観念としてのユートピアは、現実との矛盾を現実に合わせることで解決するのではなく――つまり現実に合わせれば理想は理想でなくなり、ユートピアから外れることになるから――現実を理想に合わせようとする方向に向かう。観念の理想が現実を支配しようとするとき、さまざまな悲劇が生ずる。ヨーロッパの宗教改革上の惨劇も、イスラムの宗派対立も、中国の文化大革命も、小さいところではあさま山荘事件の連合赤軍も、オウムの地下鉄サリン事件も、すべて観念の現実支配から生じた悲劇ということができるのではないだろうか。ユートピアを求める限りディストピアの悲劇は終わらない。

 

 〈 1・13 〉

 移動準備で机の中を整理していたら、古いノートが出てきた。あるページに鶴見俊輔さんの言葉が書き写されていた。そこにこう書かれている。

「問題は、真理は間違いから、逆にその方向を指定できる。こういう間違いを自分はした。その記憶が自分の中にはっきりある。こういう間違いがあって、こういう間違いがある。いまも間違いがあるだろう。その間違いはいままでの間違い方からいってどういうものだろうかと推し量る。ゆっくり考えていけば、それがある方向を指している。それが真理の方向になる」

 哲学を机上の学問に終わらせなかった鶴見さんらしい重要な指摘である。たしか同じようなことを藤沢周平さんも石川啄木を語ったエッセイの中で書いていたように思う。

 そういう点から見ると、一時期のヤマギシズム運動は、ずいぶん的外れで夜郎自大の運動であったと思わせられる。

 よく自分たちは「真理から見れば」とか「真理から外れないように」とか、あたかも真理を我が手中にしているかのような言動をしてきた。これほどの思い上がりを、天人共に許すはずがない。

 有限で愚かな人間が、時空を超越した真理なるものを把握することなど不可能であり、ましてその真理から物事を見、判断することなどできるはずがない。人間のできることと言えば、間違いや過ちから謙虚に学び、少しずつ方向を改めてゆく以外にない。そのためには、過ちを過ちと認め、間違いを間違いと認める勇気が不可欠である。しかしこれが意外と難しい。認めたがらないのである。こうして真理の方向からますます外れてゆく。

 

 〈1・14〉

 食事を普通にとることが、だんだん難しくなってきた。喉につかえて吐き気がでてくるのである。相当の時間をかけてゆっくりと食べなければならない。だんだん食べなくてもよい体になってゆくのかもしれない。こうした自分の体の変化を、他人事のように眺めている自分がいるのが不思議だ。これからどうなってゆくのだろう、と興味さえある。今のところ体に痛みがないからそんなことが言えるのかもしれない。

 いずれにしてもそう長くはない最後の人生をどう過ごすか、毎日が大事になる。

 堀田善衛の『時間』読み始める。重い。

 

 〈1・17〉

 明日から入院、入院準備やら後始末やらで結構な時間をとってしまった。パソコンは持ち込めないので、ここまでを「わくらばの記」①として、一応の区切りをつけることにする。