〇知人F氏がご自分の体験も踏まえながら小説を書いている。時々Facebookに一部掲載され、それに様々な人がコメントを寄せている。その投稿に、ある村の「自動解任」の様子が描かれていて、何人かが反応し賑わっていた。
※ブログ「わが学究 人生と時代の〝機微〟から‐(28) 哀惜!Ⅵ自動解任」に掲載されている。
その反応の中に次のようなものがあり、捉え方の違う箇所もあるが、大方はわたしも同意する。
〈ヤマギシの組織論では、「長なし」「自動解任」「一役三人制」「総意運営」など言葉の記憶はあるが、私には実際的なイメージはほとんどない。実顕地時代でも「年中行事」として過大視していたが、実際は例の「その解任が各自の内なる研鑽でどこまで進んでいるかどうか」の自己研鑽にとどまっていた。
いいかえれば。実際「私意尊重公意行」の「公意」を形成できた唯一の機会を無にして、当局は「公意」を僭称してきたといってもいい。われらもそれを許してきた。その帰結は(他にも大きな要因があったが)まさに「共和国」の一線を越えた<独裁社会>への変貌だった。不要なものは無くなってもいい。しかし「自動解任」なる意味深遠なる言葉はなくならない。万人の記憶が消滅するまでは。〉
自動解任というのは、ヤマギシズム社会での運営方式の一つ。半年ごとに全員対象で「任」を自動的に解任され、次の半年に向けて新たな「任」につく趣意。
わたしが2001年まで在籍していたときも、その中身は随分中途半端なものではあったが、大きな仕組みとして機能していた。
その記録に促されるものがあり、自分の体験を振り返ってみる。
わたしは、しばらく豊里Gの人事係をしていた。皆から出された希望一覧表に沿って、結構時間をかけて検討していたと思う。念頭にあったのは、①各部門、職場がより安定するように、②各人の持ち味が生かされるように。の二点だった。①の比重が随分強かったが。
6人ほどで検討し、私の携わっている関連職場、予備寮や研修所の青年男子などについては、思ったことを発言していて、気まずい思いも感じなかった。ただ、学園などよくわからない部門については、ほとんど黙っていて、それに詳しい方に一任していた。
建前上は仲良し班から運営委員が出て、その検討のもとに人事総務が決められていた。長期にわたって固定化した人もいて、その発言力の影響はかなりあったと思う。
全員対象の「自動解任」であるにも関わらず、検討する人たちがかなり固定化していたので、強力な管理体制になっていたことが、大きな問題点だったと思う。
自覚して自己の役割や任務を見直す大きな機会とする人々と、それを受けて検討、調整する何人かの選ばれた人が、くっきりと別れて固定されていては、自動解任の意味をなさない。
だが、半年ごとの全員対象の自動的な「任」の解任というのは、とても面白い試みだと思う。一人ひとりの自覚が欠かせないし、そこから始まるが、実際どのように実現、運営していくのかは、かなり難しい。
任務・役割というのは周囲から託されたものであり、一時それに携わっていても、私について回るものではない。そこに居続けていると自分の可能性を狭めるとともに、すべての人に開かれたものとなる可能性も狭めてしまう。
自分を振り返っても、「任」というのは、そこに長い間ついていると持ちやすいものであり、一時預かったものであることを忘れがちになる。
突き詰めていくと、この組織の理念である“無所有”の問題につながってくる。
自動解任について、どのような考え方からこの運営が編み出されたのか、いろいろと考えてみると、この組織の理念である、研鑽生活、山岸巳代蔵の考え方の根っこにある「共存共生の世界 だれのものでもない だれが用いてもよい 最も相合うお互いを生かし合う世界」などが浮かび上がってくる。
山岸巳代蔵が描く「けんさん」の特徴は、ある目的のための研鑽機会だけではなく、日々の生活が研鑽連続生活である。安定化を強く求めることは固定化につながり、組織の運営の基本をなす各種「任」を見直す機会として、半年ごとに自動解任を設けたのは卓見だと思う。
※(研鑽生活に関して、自分も含め、すべてにわたって随分中途半端だった。)
また、人事係として、自動解任時だけではなく、新たに人の配置を決めるとき、各場の状況を鑑みるとともに、その人の持ち味を検討する。どれだけその人の持ち味が分かるのかと問われたら、何人かで研鑽するといっても、はなはだ心もとないが。
一人ひとりの「持ち味」を生かすというのは、一つの要素として、そのような気風は多少あったと思う。
山岸巳代蔵が口述し、奥村通哉が筆記し、構成・ 編集を担当した特講の次の段階としての研鑽学校は、予科・公人完成科 本科・適正試験科 専科・適者専門就場科となっていて、その趣旨や解説に、各人の持ち味を調べ、生かすというような文章が頻繁に出てくる。研学設立の大きな目的だったような気がする。
わたしも携わっていた研鑽学校では実際ははなはだ違った形で展開していて、自分でもよく分かっていなかったと思う。なお、その構想は亡くなる前の年で、自動解任も含めて、実際の運用にはかかわっていない。
※〈本科・適正試験科は、予科―公人完成科の認定を経た者を、ヤマギシズム各種試験場に配属、又は各種実務について、いろいろ場を踏んで各人の持ち味を見出し、伸長する科程である。
自分も他も不得手と思っている場についてみて、意外にそれが適性であったり、あるいはそこでの経験が、生涯の生活の上に最も良い体験となる場合が多い。随っていろいろな変わった場について科学する職業体験や、社会体験をつけながら、適性試験をし、持ち味を伸長する場である。〉
1964年に、中央調正機関人事総務からの提案で自動解任というよりも、「任」につくにあたっての面白い資料があるので一部紹介する。
・資料:「人事についての提案」
〇方法
- 春日に住むすべての人が最も見やすい場所に掲示板を立てる。
- 掲示板には、取り外しのきく全員個々の名札を備え付ける。
- 各職場の作業必要人数を明示する。作業必要人数は当初だけ人事課で告示するが、その後の増減は、その部内での話し合いによって決定し、明示する。
- 各人は各人の判断によって、適当と考える職場へ自身の名札をかけた上、その職場に就く。
- 一つの職場に必要人数以上の希望者がある時は、希望者相互間で話し合う。
- 一つの職場で必要人数に満たない時は、そのことを全体に知らせる。ただし、個人に対して「行ってほしい」というような調正はしない。
- 病気その他の事情で、どの職場にも名札をかけない人には、その事情や希望を充分人事課が聴いて、最も適切な処置を講じる。
- 人事係は、全体の実情を、必要に応じてみんなに知らせる。
※2016年6月の実顕地の資料は次のようになっている。今も自動解任は大きな行事となっているらしい。
〈●任とは。
担当、担任、受け持ち、そういう性質のもの。
●仕事をするのと、任につくのとの異い。
任務でなく。仕事とくっつくと重くなる。
●任を全うしようとするところに仕事がある。
●任につく。
責任とはちがう。
放して任意で軽く行う。
●役割 役に立つ。
「一体社会の役割」として、必ずやるべきことがある。
個人のやりたい楽しさとはちがう「役に立つ」楽しさ、生き甲斐。
「自分はいてもいなくても関係ない」と思うのはいちばん哀れ。
どんな人でも役に立っていけるよう、治まっていく実顕地一つの運営。
●解任とは。
任についているという自覚があって、解任がある。(「村ネット」から)〉