広場・ヤマギシズム

ヤマギシズム運動、山岸巳代蔵、実顕地、ヤマギシ会などに関連した広場

◎集団のもつ危うさについて(鶴見俊輔のヤマギシズム関連の論考から)

〇ヤマギシズム実顕地では、山岸巳代蔵の思想に注目し、終始その運動に関心を寄せてきた鶴見俊輔のヤマギシズム関連の論考を度々取り上げていた。

『カルトの村で生まれました』を契機に、自分のことを振り返るとともに、いくつかの資料を読み返している。
 その中で、鶴見氏が何度か集団のもつ危うさに言及していて、今まで読んでいるはずだが、そこの意識がかなり薄かったのを感じている。今後の考えていくときの参考になる箇所をあげて、それについて考えてみる。

 

▼「ヤマギシズムの本質を探る」(『ボロと水』第1号より抜粋
【・「集団の暴力性」とは
鶴見:「問題はしかし、どっちの極にいっても、限界があるんですよ。集団には集団の限界がある。集団は自然に集団の暴力性ってのを持ちやすいんだ。つまり強制するっていうかな。集団の多数による強制って、出ると思う。そうするとね、考え方の枠が決まっちゃうの。ちょっと違う考え方をしようとする人間を、何となく肘を押さえる形になって危ないんだ。それはね、その集団のいき方は間違いだっていうふうなことをいい得る強い人間をつくらなくなってしまうわけよ。だから集団だけに固執するとすればよ、だんだんとより多くの集団である国家に閉じ込められちゃってね、国家が「中国と戦争しよう。これが自由のためだ!」といえばね、集団だけに慣らされた人間はね、山岸会員であっても、のこのこと一緒にくっついていくような、去勢された人間になっちゃう危険性がある。」

W:「でも個人の意志が尊重されればね、集団であっても別にかまわないと思う。」
鶴見:「そのところは、とても、非常に難かしいねえ----」
「集団は集団で暮らしている中に限界があるので、個人でなければやっていけないような、つまり、集団から離しちゃう個人というのを、繰り返しつくって、個人でも立っていけるような人間っていうのを、繰り返し突き放してやっていかなきゃ----。春日山でしか生きられないように人間になったら、危ないわね。これは結局ね、日本の政府に飼い馴らされちゃう。」
「だから個人にも限界があるわけ。集団にも限界がある。そういうふうに両義的にとらえて欲しいんだな----。」
「だから原則はいいんだ。このテキスト(『ヤマギシズム社会の実態』)に書いてある限りは原則ってあるんだ。だが実際問題の運営でいうとね、研鑽会でもさ、やっぱり多数の暴力っていうのか、やっぱり、各所に現れてきているね。」

・「研鑽のよって立つところ」
鶴見:「ひとりで生きられない人間が、こう、たくさん寄るとねえ、そこに集団の暴力性が出てきますねえ----。」
「そういう人間ってのはねえ、他の個人より多く狂信的でねえ、「この意見は決まった。正しいんだ!なぜ分らんのか」と、いたけだかになる形の人が多いんですよ、それは。威張り返るってのは大体そうですねえ。自分の考えを自分でやるという、こう考える人間ってのはねえ、そういうことを普通はしないもんなんですがねえ----。(中略)
集団が一枚に固まっちゃったら、もう集団そのものが自滅しますよ。そういう問題があるわけ。だから、集団をつくろうと思ったらどうしても、こう、個に返すということを、繰返し繰返し突き放してやっていかなきゃあ----。そうしないと普通、集団の自己陶酔が始まるんですよ。」
(「ヤマギシズムの本質を探る」『ボロと水』第1号、ヤマギシズム出版社、1971より)】

 

〇集団が持つ暴力性、波及性について
 子どもたちや身近な元学園生から聞く話では中等部段階のことが多いが、初等部1年生の時に、髪をバッサリ切られて、それ以来学育にプッツリした子もいる。一人ひとりの体験は部分的だが、いろいろ聞いていくと、このコミックに描かれたほとんどのことが浮かび上がってくるのに今更ながら酷いなと思っている。それぞれ、今は突き放してみることができるようで、いろいろと語ってくれ、ほとんどが、ほのぼのとした著作にも好意的だった。

 だが、村(学園・学育)の方針に馴染まない、ついていけない子どもたち、特に目をつけられていた子に対してはあまりにも非道なためなおしや、体罰が安易に行われていたと思っている。また、著者と同じように「俺らってさ、みんな一回は世話係さん殺したいと思ったことはあるよな」というようなことを直に聞いたことがある。

 係りにはいろいろなタイプがあり、村によっても気風は随分違うなという印象がある。そういうこともいえるが、ほんとうに問題にするところは、大きな被害をもたらしたこの頃の村の集団の持つ構造だ。その体質から、この著作にあるようなこと、人・世話係は当然現れてくると思っている。

 台風があったとき、自分のところの被害のある・なしにかかわらず、大きな被害をもたらしたところがあれば、大災害をもたらした台風とみるのが、普通人の見方だろう。
飛躍するようだが、この度の原発災害も、会社組織の体質もあるが、それを支える社会全体の体質が現れているわけであり、しかも、その被害状況は後々まで波及するものとなる。

 娘の話で、中等部のある女の世話係が、見た目にもひどい体罰をしているのを見た別のベテランの係りから、「あんたなんでそんなことをしているの」とあわてて止めに入ったというような話も聞いている。娘はその係には一目を置いていた。

 そういうこともあっただろうが、その頃の村の体質から、規模が大きすぎるところや一人か二人で村の学園全体を見ているところなど、異様なことが行われていても歯止めが利かないことも多かったのではないか。

 私は学園の運営などに関わっていなかったが、様々な部門で中心になって動いていた。学園についておかしなものを感じたとしても、そこにはあまり触れないようにしていた自分がいる。このあたりは当然私自身の問題になってくる。

 親の意向で、たまたま村、学園で暮らすようになった子ども達への扱いには、その後の育ちにも影響してくることもあり、そこに大きく焦点をあてていくことは必要だが、そのような学園・学育を作っていったのは、紛れもなく参画した大人たちであり、中心になって動いていた自分たちである。その体質、構造に迫っていかないと、集団のもつ危うさは見えてこないと思っている。

 

〇その頃の実顕地の体質について

 私が関わっていた部門は、ある程度の検討の末、参画を選択してきた人たちとの現場で、中には精神的にストレスを抱えて人もいただろうが、著作にあるような「体罰」や「食事抜き」などは、聞いたことがない。

 ではどうして、この著作にあるような体罰が頻繁に起っていたのか、結局その頃の学育のあり方に及んでいくが、その頃の村の体質にも絡んでくると思っている。

 自分の体験から推測したり、当事者にいろいろ聞いたりして、親の意向でたまたま、村・学育で暮らすようになった、著者と同じ時期の子どもたちに、安易に村の方式、学育の方式を一方的に強引に押しつけていたことが明らかになってきた。

 そして、私を含めて少なからずの村人は、いろいろ感じていても、結局は学育については学育関係者に全面的に「お任せ」していたのではないかと思っている。

 つまり、成長段階にあり、これからいろいろなことを身に着けていく子どもから見たら、実顕地学育方式と村人が一枚岩のごとく立ちはだかっていたのではないだろうか。

 その頃の学育方式は、一人ひとりの違いを認め、個性を伸ばすということよりも、ひたすら学育方式にかなう子を育てようとしていたのではないだろうか。

 それまでも薄々聞くこともあったが、特に村を離れてから、学育・学園の様子を知るにつれ、随分ひどいなと思っていた。そして、この著作に触れて、私の子どもたちなどに確かめてみて、ここまで酷いとは思ってなかったので暗澹たる気持ちになっている。どうしてこんなことになったのか、きちんと見ていく必要を感じている。

 私が大きな問題だったなと思っているのは、専門分業による「任し合い」の考え方、あるいは「忖度」の感情だ。様々なことを「任し合い」で分担して、事を進めていくのは、共同体の大きな力にもなるが、「任し合い」ということで、自分が担当している以外の、見過ごしてはいけないことへの鈍感さをもたらすという負の要因もある。

 振り返ってみると、他の部門の人たちの言動について、たとえ違和感を覚えても、ことさら異を唱えることを控える。あるいは、何か深い考えがあってそうしているのだろうと、実顕地の目指している方向や中心になって進めている人たちへの根拠のない委ねなどがあったと思う。

 その集団でのある方向の考え方に対して、とりたてて違和感を覚えない限りさして気にならないが、一旦疑いが出て、それを突き詰めていくのはある程度のエネルギーが要る。さらに、その集団の方向に対し間違いだっていうからには、それなりの覚悟がいる。

 まして、同職場での発言力の強い人、多数の意見に対し、じっくり考えた末「それはおかしよ、間違っているよ」と面と向かっていうのは、相手にそれを受け止めていく器量がないと、かなりの緊張を強いることになり。結局何となく肘を押さえられる形になってしまいがちになる。

 一方、強い発言あるいは多数意見に後押しを得て、より強い言動、ときには極端なものになっていくような人もでてくるだろう。この辺が鶴見氏の指摘する集団の暴力性だと思う。

 

〇私の問題意識

 以前実顕地について発信したとき、ある人から、次のようなコメントをいただいた。 「どんな団体でも組織は組織、宗教でも理想に向かってはいても、完璧に出来上がっている処はなくて、集団は色々あっても自分一人でもやって行くという覚悟だけのように思います。どんな素晴らしい処でも色々な人がいますから----」

 それに大いに感じるものがあり、次のように応えた。 「ほんとうにそうだと思います。自分一人でもやっていくという覚悟から始まります。(その上で)家族から組織まで、大事なこととして力を合わせるとか協調とかいわれますが、基本は一人ひとり(自分に対しても)を尊重すること、一人ひとりの人間性や違いを容認することが大事だと思っています。その上での対話が成り立つと考えています」

 鶴見氏の論考に触れて、「自分一人でもやっていくという覚悟の人」と「見過ごすことができない間違いをはっきり言い得る人」が、私の中でつながってきた。

 このことは特定の集団に属するとか属していないとかに関わらず、人として大事なところだと思っている。特定の狭い集団ではなおさらだ。

 私は、何事に対しても反対をとなえる人や声高に自分の信じている主張をしたりする人は苦手である。だが、普段は淡々と暮らしていても、このことは見過ごすことはできない、間違っているのではないかと、はっきり言い続けていく人、さらに、そのことの意味を問い続け、探求を持続していく人を大切にしていきたいと考えている。

 2000年前後の、大勢の村からの離脱も、そういう人たちから始まった。そのこともあり、その後の村では、様々な見直しをし、著作にあるようなことはなくなったと聞いている。

 人は、特定の組織や集団に加わるとか加わらないとか関係なく、多くの人との支え合いなしには生きられない存在だ。広げすぎるかもしれないが、自覚あるなしに関わらず、国家という集団の一員でもある。

 普段はほとんど意識することはないにしても、この度の原発災害のように、何かことが起きれば、自分にも何らかの影響を及ぼすことになる。地震の多い国での、原発の危険性に言及している記事を読んでも、遠くの他人事であった。

 そのようなことを持ちださないでも、普段のなに気ない暮らしの中でも、見過ごすことができないこと、疑い・考えたくなることは生じてくるだろう。普段はぼんやりしていても、そういうことに敏感になっていきたい。他がどうであれ、自らのこととして。「自分一人でもやっていくという覚悟の人」とはそういうことではないだろうか。

 そして、個人でやれることには限界があり、そう思える人たちとの、相互扶助的な動きも大事だと思っている。お互いの違いを容認し、同じ思いでいるはずだということを前提しない、きちんとお互いの意見を尊重し、交換しながら、つかず離れずの関係で。

どこまでも個にこだわり、従来の組織化や運動に染まらない純粋な個と個が繋がることが、ほんとうの共同の力となっていくのではないかと考えている。

 

【参照資料】

〇鶴見俊輔「けっしおこらない人たち(ヤマギシカイ訪問記)」抜粋

「一つ、私がヤマギシカイの思想について賛成を保留したいと思う点は、集団の総意を重んじて全員で話しあって、一致点を結論とするという方法、その結論がたえず無固定的に改められてゆくという方法についてである。これでは、その集団全体がまちがっていたらどうなるか。その集団が人類全体を含むまでに至るとしても、人類全体が、あることについてまちがっていたらどうなるのか。人類全体もまた、まちがい得る。その可能性を探し出そうという努力が、東西の普遍宗教を生み、数学を生み、科学を生み、歴史意識を生み、芸術を生み、無神論や実存主義をも生み出したのだと思う。こうした探求を持続する方向が、ヤマギシカイの思想からは出にくいように思うのだが、どうだろうか。」  (『思想の科学』1962年6月号、思想の科学社発行より)