広場・ヤマギシズム

ヤマギシズム運動、山岸巳代蔵、実顕地、ヤマギシ会などに関連した広場

◎吉田光男さんと「死生観」

〇ひとが生きるとは、死を迎えるとは
 吉田さんが身近な人に託した「最後の時を迎えて」には、「私の死生観」、「救命措置について」を記し、御自分の「生」を支えてくれた沢山の方々に、感謝の意を添えている。

「死」を覚悟されてから、「自律的に生きることができなくなったら」というのが吉田さんにとって差し迫った課題になる。
「なぜと問い続ける」ことが生き方となっていた吉田さんにとって、「死」に至ることには平然としていらしたが、自律的に生きることと考えることが重なっているので、それができなくなる、難しくなることへの不安はあったかと思う。
 そのことからも、「ひとが自分らしく生きるとは、死を迎えるとは」とはどんなことなのか、問い続けていくことになる。

 

 昨年の7月におきた障害者殺傷事件などから、ご自分の内なる課題として、ひとの「生と死に」ついて、日録に様々な角度から触れている。

〈私は、去年の12月に食道がんを宣告されたとき、死を覚悟した。そして、子どもたちに本人の意思として、「もし死が避けられず、生命維持装置によって植物的にしか生きられないとすれば、それはやめてほしい」と伝えた。しかし、「植物的」という概念も、本当のところはよくわからない。意識があるのかないのかもわからない。ただ、自分としては自律的に生きることができなくなったら、死を受け入れたいと思っている。いわゆる「尊厳死」の考え方である。(中略)
 しかし、自分の考え方は、どこかで(自律的に生きることができなくなった人たち)障害者の死を軽視したり、肯定したりする優生思想につながりはしないか、という恐れが出てきた。(中略)
 今回の植松聖の障害者殺傷事件を通して、もっとこの問題をみんなで考えていきたいと思い出した。他人事としてではなく、自分の生き方の問題として考えていきたいと思う。〉(『わくらばの記』-「ごまめの戯言」7月×日)

 

〈「水俣病――魂の声を聞く」(NHK)の再放送をもう一度見た。大阪在住のSさんは、亡くなった劇症患者の姉の首に何回か手をかけたと話す。また、いま水俣に住むTさんは、重度障害の妹が自分の生きがいだと言いながら、車椅子での生活を余儀なくされた今では、この妹が自分よりより先に逝ってくれることを願っていると、苦渋の満ちた顔で語っていた。

 二人とも、水俣病劇症患者の姉妹を愛し、その世話に自分のすべてを捧げ乍ら、その一方で自分より先の死を願う。愛するがゆえにその死を願う。矛盾しているようで、そうではあるまい。これは、障害者は死んだらいい、などという浅はかな考えの世界とは全く異なっている。〉(同上、8月×日)

 

〈私自身は、生命維持装置によって生きながらえようとは思わないが、これを他に押しつけようとは思わない。また法によって一律に規制すべきものとも思わない。同時にまた、何が何でも生命が維持されさえすれば良しとする現代の医療が良いとは思えない。要するにわからないのだ。しかし、今一人ひとりがこの生と死の問題に正面から向き合い、自分はどう考えるかを考え続けることが大事なのだと思う。痴呆も障害も、遠からず自分に訪れる問題なのだから。〉(同上、8月×日)

 

「優生思想」という枠組みはひとまず置いておいて、優れたものへの憧憬、「できる」ことへの努力などは、ひとがよりよく生きる、成長していく原動力でもあり、半ば本能的なもののように思っている。
 それは人間の歴史を進めてきた原動力でもあり、特に肥大化したのが、科学技術の発達も伴った近代社会ではないか。

 出来るのがよい、進歩するのがよい、便利になるのがよいと、現社会を強烈に推進してきたし、多くの人の「前のめりの生き方」を誘ってきた要因でもないだろうか。
だが、そこに価値を置きすぎると、劣ったものへのマイナス的な感情、「できない」ことへの負担感が生じ、それが嵩じてくると、迷惑をかけたくない、さらに鬱的な状況に陥ってしまう。

 また、「できる」ことに必要以上に大きな価値を置く社会は、結局、社会の風潮として「優生思想」につながっていく。
「できない・できる」は殊更価値づけるものではないし、少し考えてみれば一目瞭然、比較しようがないほど、出来ないことの方が圧倒的であり、多くのものに支えられて暮らしが成り立っている。

 しかし、できなくなる、失われていく不安は、現社会の傾向として根強いものがあるのではないだろうか。自分のことを振り返っても、少しずつ薄れていっている感触はあるが、まだまだ意識の底辺に染みついているのではと思っている。

 高齢者、病弱者、障害者に限らないが、特にそのような厳しい状況にある人には、重々しい負担になっている人が少なからずいる。福祉の仕事に携わってきて、介護にまつわる事件、心中、自殺などに触れることがある。

 

 鷲田清一は『老いの空白』のなかで次のように述べている。
〈人生を「できる」ということからではなく、「できなくなる」というほうから見つめてみると、もっと違ういのちの光景が眼に入ってくる。「作る」「できる」ではなく、ただ「いる」というそれだけで価値が認められるような、ひとについての見方、それが高齢者問題では賭けられている。<老い>は問題ではなく、人類史の課題としてここに浮上してきている。〉(鷲田清一『老いの空白』岩波現代文庫)

 このような見解も少しずつ出てきていて、私もこのような考え方でみていきたいと思っているが、どこまでの外からの見方で、一つの社会気風になるまでは、当事者たちの心のありようの積み重ねから生まれてくるのだろう。

 

 ある時から吉田さんは、問い続けることができなくなる場合のことも考えていたと思われる。
〈自分の人生を振り返ることだけはやっておきたい。それを通じて人間というもの、人間の生きているこの世界というものを少しでも知ってみたい。〉という人間についての探求をしてきた吉田さんにとって、現社会の様々な現象に向き合うともに、自らの「生や死」をどのように考えていくのか、問い続けてきたが、そのことが難しくなってきたのではないだろうか。

 

『わくらばの記』は、吉田さんとかかりつけ医のS医師との「死生観」についての話し合いの記録のあと、次の文章で終わっている。

〈*書きたいことは、今思っているだけでも幾つかある。しかし、もう書く気力がない。伊丹十三の映画「大往生」ではないが、「もういいかい」「もういいよ」という感じになってきた。これが、今の心境である。〉(『わくらばの記』―「断想」)

 私には、自らの心の灯を頼りに、他に身を任せてはできない厳しい道を、自己を磨き続けながら歩み切った人として鮮明な印象が残っている。

 

【参照資料】
〇(『わくらばの記』-「断想」)から
〈*今日、坂倉医師と率直な話し合いができた。私にはかねがね二つの疑問点があった。
 一つは、生き物の死は自然現象であり、人間にとっても、戦争や災害を除けば、すべての死は自然死ではないかと思うけれども、法的・医学的には自然死という表現はない。みんな病死として何らかの病名が付けられている。これについて、先生はどう考えるか。
 これについて坂倉医師は、幕末までは死を自然現象と見る見方が普通だったが、近代医学が主流になるにつれて、死という結果に対する原因を明らかにする考え方に変わった、という。死亡診断書には、必ず死因を書かねばならぬ項目があるそうだ。近代合理主義の一つの落とし穴なのだろう。
 もう一つの疑問は、植物的になる前に、自分の判断で自分の人生もここまでと決め、自分で胃瘻チューブをはずしたりした場合、これは自殺ということになるのかどうか、ということである。坂倉医師の見解では、自分を自分で傷つけるわけではないから、自殺にはならないだろう、ということであった。
 すぐにというわけではないが、選択肢が一つ増えた気がした。そして最後に、「今の医療では、生きた時間の長さだけが重視されているが、人生にとって大事なことは、時間の長さよりもその充実度ではないか」という私の意見に、坂倉医師も賛成してくれた。
 いずれにせよ、私の死生観の一端を聞いてもらえたことは、非常によかったと思った。〉(『わくらばの記』-「断想」)