広場・ヤマギシズム

ヤマギシズム運動、山岸巳代蔵、実顕地、ヤマギシ会などに関連した広場

◎ある投稿から、ヤマギシズム学園問題に触れる

〇「集団のもつ危うさについて」(2016・3・16)の補考として
 以前、ある実顕地の学園中等部にいた、依存症の病院の院長をされているというY氏の活動がテレビで放映されたとの情報から、あるヤマギシ会会員さんから次のような投稿があった。
「その人の名前を聞くと、胸が張り裂けそうで一杯です。」
「学園を出発した子どもたちの心の中にどのように残っているのかと思うと、いたたまれません。」

 山岸巳代蔵や実顕地について、これまでもいろいろな角度から発信してきた。
 理想を掲げた集団のありようを検証していくためにも、25年以上生活する中で、一定の期間中心になって進めてきた私自身のことを振り返るためにも、思っていることを書きながら自問自答している。
 発信すると様々な反応があり、特に「高田かや〈作〉『カルト村で生まれました』」「集団のもつ危うさについて」など、いろいろな方からメールなどをいただいている。その記録と重なってくることもあり、私が参加しているメーリングリストへの投稿をこのブログにも掲載しておく。
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〇Sさんの投稿に反応して。
 実顕地のより良き成熟を願うとき様々な観点から歴史を振り返ることは大事だなと思っている。
 朝日新聞の書評をはじめ話題になった、高田かや(作)『カルト村で生まれました』の著者と同年代の私の子どもや元学園性によると、そこに描かれた体罰、食事抜き、個別研など、ほぼ同じようなことが行われていたそうだ。もちろん実顕地、学園によって様相は違うらしいが、迂闊にも著作にあるような酷い実態にあまり気がついていなかった。

 その頃のある実顕地の中等部での、殴るなどの体罰は殊更酷かったそうで、主にそれに携わっていたのがY氏である。
 人によって様々な見方があり、どこまでも一面的に捉えることはできません、また、特定の人の行動というよりも、そのころの学園の気風に支えられての行動であり、特定の人を取り上げることは避けたいと思っている。

 だが、何人かの元学園生から度々聞かされているこの人に関しては、激しい憤りを覚えている人が多く、一様に恐怖を感じていたという。なかには殺意に近いような思いを抱いている人もいた。

 私とは身近な間柄のある子は「私の頭が歪んでいるのは彼に何度も殴られたから」といっている。事実どうであるかというよりも、彼女にとっては実際のことなのだろう、そのようなことがありながら学園生活は面白かったといっている。だが、20年以上たった今でも未だにその後遺症が残って悶々としている知人の子もいる。

 当時の学園では、「子どもを叱る」というのもテーマにしていて、また「怖い人」の存在も大きいという声も聞いたことがあり、主に学園を進めている人たちからY氏は評価されていたと思う。

 私は、学園の方針については関わりがなかったが、人事の役割についていて、その辺のことは知っていて、当然他人ごとで通り過ぎることはできないし、責を負っている。
 また、学園の気風は、結局のところ、そのころの実顕地の構造とつながっていると思う。

 私自身についていえば、主になって学園を進めていた人による支えがあったとはいえ、どうしてそこまでのことをしていたのかと訝しいものを覚えているが、そのこととは別に、Y氏について特に悪い感情はない。

 しかし、Sさんがおっしゃるように「御本人にヤマギシに関わった当時の事をどのように感じてみえるのか」語ってほしいなと思っている。

 これは勇気のいることだし、本人がその気にならないと実現できないことではあるが。
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 様々な思いをもっている方からの投稿も続いている。忌憚なくいろいろ思っていることを出し合いながら、それぞれの今後に生かせていけたらいいなと思っている。

 いくつか思っていること挙げてみる。(※私が在籍していた2000年頃のこと)
・この記事は、Y氏について思っていることでもあるが、私自身の課題でもある。

・究明、検討の中途半端さ:「子どもを叱る」というテーマや「怖い人」の存在も大きいなど、どのような考え方から出てくるのか。実行段階に入るまでに、種々の角度からの究明、検討が必要だが、特定の人の意見に左右されて、子ども達に関わっていこうとする皆のなかでは、どうだったのだろうか。

・検証や慎重な配慮のなさ:とりあえず実行段階に入るにしても、やってみてどうだったのか、きめの細やかな観察、配慮、検証、見直しが欠かせない。成長段階にある子どもたちを託されているのであり、これが肝心だと思うが、学園によってはほとんどなされていなかったのではないか。

・第三者による監査機能が全くなかった。:これは学園に限らず実顕地全体のテーマだと思う。中心になっている実顕地、人に聞いていくというか階層構造は強いものがあったが、実親や第三者に確かめていくような気風はなかったと思う。「かってない新しい社会、どこにもないことをやっている」という根拠のない自負からの傲慢さからくるのだろう。

 

・集団のもつ危うさ:「各人の行為は集団の意識によって制約され鼓舞される。」
上記の言葉は大岡昇平『俘虜記』「捉まるまで」にある。少し飛躍するかもしれないが、集団のなかの個人のあり方を考えるときに、とても参考になる知見だと考えている。

 死に直面した過酷な状況のなか、目の前に迫ってきた米兵を銃で射たなかったときの自らの心理過程を描いている箇所で、次の文章がある。
〈それは私がこのときひとりだったからである。戦争とは集団をもってする暴力行為であり、各人の行為は集団の意識によって制約され鼓舞される。もしこのとき、僚友が一人でもとなりにいたら、私は私自身の生命のいかんにかかわらず、猶予なく射っていたろう。〉

 戦争という特殊な状況ではあるが、ある理念を掲げた集団のなかで、主体的に自己を打ち出していかないと集団の意識・気風などに押し流されてしまいがちになる。
Y氏の場合、その時の心理状態がわからないが、一人の人間としてというより、集団の意識、論理に押し流されて、あれほどのことができたのではないだろうかとも思っている。

 

【参照資料】
※(2016・3・16)のブログ「集団のもつ危うさについて」のなかで触れた「ヤマギシズムの本質を探る」(『ボロと水』第1号)に掲載された鶴見俊輔氏の発言から。

鶴見:「集団には集団の限界がある。集団は自然に集団の暴力性ってのを持ちやすいんだ。つまり強制するっていうかな。集団の多数による強制って、出ると思う。そうするとね、考え方の枠が決まっちゃうの。ちょっと違う考え方をしようとする人間を、何となく肘を押さえる形になって危ないんだ。それはね、その集団のいき方は間違いだっていうふうなことをいい得る強い人間をつくらなくなってしまうわけよ。だから集団だけに固執するとすればよ、だんだんとより多くの集団である国家に閉じ込められちゃってね、国家が「中国と戦争しよう。これが自由のためだ!」といえばね、集団だけに慣らされた人間はね、山岸会員であっても、のこのこと一緒にくっついていくような、去勢された人間になっちゃう危険性がある。」

 

W:「でも個人の意志が尊重されればね、集団であっても別にかまわないと思う。」

鶴見:「そのところは、とても、非常に難かしいねえ—-」
「集団は集団で暮らしている中に限界があるので、個人でなければやっていけないような、つまり、集団から離しちゃう個人というのを、繰り返しつくって、個人でも立っていけるような人間っていうのを、繰り返し突き放してやっていかなきゃ—-。春日山でしか生きられないように人間になったら、危ないわね。これは結局ね、日本の政府に飼い馴らされちゃう。」
「だから個人にも限界があるわけ。集団にも限界がある。そういうふうに両義的にとらえて欲しいんだな—-。」
「だから原則はいいんだ。このテキスト(『ヤマギシズム社会の実態』)に書いてある限りは原則ってあるんだ。だが実際問題の運営でいうとね、研鑽会でもさ、やっぱり多数の暴力っていうのか、やっぱり、各所に現れてきているね。」