広場・ヤマギシズム

ヤマギシズム運動、山岸巳代蔵、実顕地、ヤマギシ会などに関連した広場

◎高田かや〈作〉『カルト村で生まれました』について

〇学園生活を振り返る

 知人F氏の25日のFacebook投稿で、高田かや作『カルトの村で生まれました』とのコミックエッセーを知り、早速取り寄せて読んでみた。元ヤマギシズム学園出身者が当時の自分たちの生活を描いたコミックエッセーのことである。

 

 F氏によると「これこそ待ちに待っていた、あの子どもら自身による表現ではないか。しかもここで表現されているのは、もろ子どもらの日常生活そのものなのであって、なんの脚色もなさそうである。-そこで早速その感想を書きだしてみたが、延々と長くなるばかりで書けない。当事者あるいは準当事者といってもいい私のことだから、思いがあれこれ湧いてくるばかり。そのうちもう10日も経っていた。(2月14日朝日新聞日曜版の書評から)私としては、これはもう身近な<関係者>とともに感想を交流した方が賢明だと考え、必要最低限の実務的な紹介にとどめることにした。なんといっても朝日の書評が全貌を簡潔に知らせてくれている。」との書き出しで紹介してくれた。その後もF氏は自分の課題に引き付けて、考察し続けている。

 

 その本や関連する様々な記事から、まず私が感じたのは、現在著者が夫とともに豊かに楽しく生きていられるのを感じて、とても嬉しかった。著作では、コミックの特徴である「吹きだし」「地の文」を、美しい手書き文字で重層的に配分し、一コマごとに初々しいエネルギーを注ぎ込んでいて、特異な体験を柔らかく包んでいることが伝わってくる。

 私はその村のいくつかの部門で中心的な役割を担っていたこともあり自責の念もある。特に、親の意向で村・学園で暮らすようになった元学園生の村を離れてからの暮らしに、屈折した思いが伴っている。

 

 著者は、カルトの村(ヤマギシの村)で結婚した両親のもとで生まれ、19歳のときに村を離れた。家族も同じ頃に村を離れたそうである。現在は35歳。表面的には、私たちや下の娘とほとんど同じような経緯で、重なっていることも多々あるのではないかと思われる。

 私の子ども達は17歳、18歳のとき、私たち夫婦も著者たち一家と同じ時期に村を離れた。16年ほど前である。子ども三人の村や学園の印象は、夫々違っていて、大雑把に言えば、一人はとても批判的、もう一人はあまり触れたくない、そして、かやさんと同年齢の娘は、鍛えられてそれなりに面白かったといっている。

 その娘のいる小さな会社では、積極的にヤマギシの村で育った元学園生を採用し、その仕事ぶりにかなりの信頼をおいていて、会社全体がヤマギシの村そのものに好感触を持っているという。

 私が触れた元学園性たちでも、様々なとらえかたをしている。その中で、精神的なダメージを抱え続けた人も少なからずいるので、これは見過ごすわけにはいかない。いずれにしても、その負の要因をのりこえて、幸せに生きていってほしいと願うのみである。

 いずれ家族と関係者で『カルトの村で生まれました』の感想を出し合っていきたいと思っている。そのことを通して、理想を掲げたコミューンのあり方、その頃の実顕地の奇妙な構造と私のあり方、その中での兄弟姉妹のような仲間たちの多いなかでの暮らし、などについて引き続き考えていきたい。

 

 著者は自分のことを近況で次のように紹介している。
・「2015年2月から掲載させて頂いた「カルト村で生まれました。」ですが、この度単行本として出版して頂けることになりました。 温かく見守ってくださった皆様に心から御礼申し上げます。おかげさまで、心配してくださったような身の危険など一つもなく、村の話が好奇心で楽しめる時代になったのだなぁと、のんきに喜んでいます。どうぞお手にとって頂けましたら幸いです」
・「寒さも落ち着き、そろそろ春の山菜が気になりますね。単行本を読んでくださった大勢の皆様、本当にありがとうございました。パソコンで皆様の感想を読み、一人一人に柏手を打ってお礼を述べています。感想を見ていると、悪い子供だったからきっと非難されるだろうと思っていたのに優しい反応が多くてびっくりです。子供の頃のふてくされていた自分に教えてあげたいですー」

※高田かや『カルト村で生まれました』文藝春秋、2016年2月12日発売。 (「CREAWEB」「コミックエッセイルーム」、「本の話webインタビュー・対談」などを参照)

 

【参照資料】
■「実体験元に描く内側の世界
外から見ればカルトの村だが、中から見れば農業を基盤としたコミューン。そんな共同体の中で生まれ、19歳までそこで過ごした著者によるコミックエッセー。絵柄はほっこりだが、綴(つづ)られている特殊な暮らしはカルチャーショックの連続だ。
 子供は親と離れて集団で暮らし、食事は1日2回。世話係の機嫌を損ねたら食事は抜きで、労働、体罰当たり前、村では所有のない世界を目指しているため小遣いはなし。漫画は禁止、テレビは『漫画日本昔話』のみというから厳しい。
では、著者は暗く辛いばかりの幼年期を送っていたのかといえば、そうとは言い切れない。
 通学路は食材の宝庫とばかりにアカツメクサの花の蜜やノビルを食す。空腹の自衛手段として食べられる物を探す中、蓄積されていく知識や逞しさも同じトーンで描かれており、ニャッとさせられる。そこでの営みや背景とは無関係に「カルト」という言葉が持つイメージのみを抽象化しては、感情のスイッチが切れてしまい、無関心や断絶しか残らない。そういう意味で本書は、よく知らない相手を身近に感じるきっかけをくれる。
 ゆっくり丁寧に引かれたであろう描線と描き文字も健やかでいい。麺棒と繭玉を使ったというやわらかな効果も内容にあっている。(「山脇麻生・ライター。2月14日朝日日曜版の書評より」


※アマゾンのカスタマーレビュ-で、何人か、それぞれの視点から書き、それに多くの人が反応しているのを読ましてもらい、驚きとともにある種の感慨を覚えた。2つ挙げる。ネットで見ることができる。

・「Kkitadaさん」
 本書は、著書の高田かやさんがヤマギシ会の村で生まれ、初等部までを過ごした体験談(自分史)を漫画にしたものである。私は、以前、ヤマギシ会を批判した本(全財産寄付、マインドコントロール、農薬を大量に散布して作った農産物を無農薬野菜と公言する、など)を読んだことがあったが、入信した親ではなく、子供にとっての生活が極めてリアルに描かれているので、大変興味深く読むことが出来た。
 かやさんの描く絵もとても可愛く、柔らかで、絵に添えられた手書きの文字も丁寧で、とても読みやすい。
 更に、かやさんが小学生の頃の話で、育ち盛りなのに、村の決まりで、朝食は抜きで、現実のお金を一円も持つことが出来ず、また、一つの飴を數十人の子供たちで順番になめる、というエピソードは、信じられない。兎に角、食に関する話は、読んでいて、面白く、やがて、悲しきエピソードである。これは、昭和の話ではなく。平成の話である、というのだから、驚きである!
 出来れば、本書は、まだ、初等部までの話なので、更に、中等部、高等部などについて描かれた続編を是非とも希望する。更に言えば、料理好きの夫のふさおさん(50歳)との馴れ初めをも是非描いて欲しい。—-最後に、この体験談は、たぶん、大変貴重な資料になるだろう、と思う。是非、社会学者、文化人類学者、宗教学者は、読んで欲しい。

・「坂元竜さん」
 著者は「カルト村」で通しているが、明らかに山岸会のヤマギシズム生活実顕地の描写と思われる。この本は世間に溢れる単なるカルト批判の本ではない。
 もちろん著者はそこを抜け出した身なので批判的精神でそれを眺めているが、一方で「カルト村」での体験が人生に生きている点も描写している。比較的中立な視点から、しかも読みやすいコミックエッセイという形でカルト社会を描いており、なかなかに面白い作品だ。