広場・ヤマギシズム

ヤマギシズム運動、山岸巳代蔵、実顕地、ヤマギシ会などに関連した広場

◎実顕地を考えることについて

〇語りきれないこと
 先日のブログ(5月11日)やFacebookに「いのちをめぐる対話から実顕地について考える」という内容を投稿して、数人の方からコメントをいただいた。そのコメントから、いろいろ考えるところがあり、述べてみる。

 誰でも様々な体験があり、余程の印象が残っていないと普段は意識に上らないし、忘れていることも多いだろう。当たり前のことだと思うが、何もかも覚えておくことができないし、人間は忘れるようになっているともいえる。忘れるから新しいことを覚えることもできる。忘れたほうがいい場合もある。

 しかし、決して忘れてはならないこと、忘れることができないようなこともある。心理学でいうところの「防衛機制」(適応機制)で、苦痛に感じることから自らを守るため無意識的に思いださないようにしていることもある。それが何かのきっかけで浮上してきたりする。からだは忘れたがっているのに、頭のほうは忘れてはいけないと言う、 そんな二つの声に引き裂かれている人もいるだろう。

 

 哲学者鷲田清一は、ものの捉え方として「価値の遠近法」に度々触れている。
一つは、絶対見失ってはいけないもの、手放してはいけないもの
二番目に、あったらよいけど、なくてもいいもの(あればいいが、なくてもいいもの)
三番目に、端的になくていいもの
四番目に、絶対あってはならないもの
 大体でいいから、何かの物事と向き合ったとき、即座にこれはこういう問題だということを仕分けられるということが、本当の意味で教養というものではないかと述べている。

 

 これを、「忘れる」ことに引き付けて見ることもできると思う。
 1、絶対忘れてはならないこと。2、忘れてもよいけど覚えておきたいこと。3、端的に忘れていいもの。4、絶対忘れたほうがいいもの。

 私は、東日本大震災や原発問題、さかのぼって、太平洋戦争や原爆のことなど、決して忘れてはならないことだと思っている。

 だが、個人的に大きな体験をしたこと、私の場合だったら実顕地での過去の体験については、体験の内実も様々であるし、人によっていろいろな反応があると思う。

 忘れてしまいたい、思い出したくないという人もいれば、そのことの真相をつきつめたい、整理しておきたいという人もいる。あえて問題にすることはない、したいと思わない人もいる。懐かしいと思う人もいるだろう。

 実顕地については、かなりの影響を与えたり受けたりしても、特に問題視とすべきようなことがない限り(人によってとらえ方も様々であるが)、一人ひとりが考えることであり、結局自分はどのようにしていきたいのかということになると思っている。

 私の場合は、先日のブログで述べたが、2001年に様々な疑問を覚えて実顕地から離れたが疑問点はきちんと分析して次に繋げていきたいと考えている。

 そして、一貫して自分の体験に腰を据えて自問しつつ、ジッケンチの在り様についての真相、真実の究明を問い続けてきたF氏のブログ共鳴するようになる。

 以前、そのHPに「ヤマギシズム実顕地について思うこと」の論考を投稿したとき、「そこを考えたかった」というような反応や問い合わせがあり、このサイトの役割を覚えた。今度の投稿にしても同じような反応を感じた。そこで、いくつかのコメントについて、私の応答も少し捕捉して記録しておく。

 

・20年ほど前に関わりがあった当時青年だったKさんからは次のコメントをいただいた。
「自分自身の整理の意味合いも強いのですが、多くの人へ影響をもたらし、傷つかれた方も多いようで、亡くなったりの悲劇もあり、多くの人が既に過去のようになってしまいました。でも今現在も深刻な事が続いている方もおられるよう。そんなんで心が動かされます。」

山口:じっくり振り返りたい人も少なからずいると思います。以前、実顕地に関する投稿をしたときも、Kさんが感じているような反応がありました。深く関わったことのある人には、過去のことではなく現在に続く課題だととらえている人もいると思います。Kさんの問題意識は、人とともに暮らしていくときの大切にしたいところだとも思っています。

 

・私と同年配のBさんから:「どこまでも決めつけないで、探っていくと云うことは、結局口のたつ人が、決めていくと云うこと、実顕地は、素晴らしいですが、残念ながら悲劇の舞台でも有ります。私も村を離れて、何度も、虚しい研鑽をしてきましたが、カビ臭い思いをしました。なに一つ研鑽に、なっていないのではという思いをしました。個人的に話しをすると、本音みたいな声を聴くのですが、研鑽となると、なんか虚しいばかりの、私の印象でした。無固定前進は全く感じません。」

山口:僕は40年前北海道試験場に参画しました。様々な模索をしていた青年が集まってきて、いろいろなタイプの人がいて、気風全体が伸び伸びとしていました。コミュニティがまだまだ混沌状態にあったともいえます。その後、実顕地に一本化され組織の秩序化が強力に進められてきて、それとともに、Bさんが言われるような面も出てきたように思います。秩序化していくこと自体は、一概にどうこういえないと思います。

 組織にしても家族のような小さな集まりでも、そこに属していることで、一人ひとりが生き生きと安心して暮らしていくことができるというのが大事だと思っています。いずれにしても、コミュニティそのものには、拙いところもあり、面白い試みもあったと考えているので、いろいろな角度からじっくり振り返っていくことも必要だなと思っています。

 

・印象に残ったコメントから:「どんな団体でも組織は組織、宗教でも理想に向かってはいても、完璧に出来上がっている処はなくて、集団は色々あっても自分一人でもやって行くという覚悟だけのように思います。どんな素晴らしい処でも色々な人がいますから相性もありますし~人間性というか、中味というか?一長一短はどこであれあると思います。」

山口:ほんとうにそうだと思います。自分一人でもやっていくという覚悟から始まります。(その上で)家族から組織まで、大事なこととして力を合わせるとか協調とかいわれますが、基本は一人ひとり(自分に対しても)を尊重すること、一人ひとりの人間性や違いを容認することが大事だと思っています。その上での対話が成り立つと考えています。

 

【参照資料】
〇鷲田清一『語りきれないこと 危機と傷みの哲学 』(角川oneテーマ21)より。東日本震災後に出版された,鷲田清一氏による著作から抜粋する○「はじめに――区切りなきままに」より
(東日本大震災は)この国を覆いつくすことになるでしょう。分散してゆく復興の動きのなかで、「人びとが支えあう」心を再確認するために、この日付をあらためて心に刻むことはもちろん意味があります。けれども、その日を「記念」することで逆にこの苦難の意味がすり減ってしまうことはないか、そのことも併せ考えておかねばならないと思います。日々、被災地の人たちに区切りもつかずにのしかかる苦労から眼を離さないために、です。このたびの震災を機に、一七年前に阪神・淡路大震災に襲われた関西でも、少なからぬ人たちが激しいフラッシュパックを経験しました。からだは忘れていなかったのです。「日付とは一個の傷の経験であり、しかしこの傷はいわば経験の後に訪れる:::」。かつてジヤツク・デリダはそう語りました。被災地の人たちのからだの奥で疹いたままのこの傷、この苦痛の経験が、やがて納得のゆく言葉でかさぶたのように被われる日まで、からだの記憶は消えることはないでしょうし、また消そうとしてはならないと、つよく思います。

 震災で、津波で、原発事故で、家族を、職場を、そして故郷を奪われた人たちは、これまでおのが人生のそのまわりにとりまとめてきた軸とでも言うべきものを失い、自己の生存について一から語りなおすことを迫られています。語りなおしとは、じぶんのこれまでの経験をこれまでとは違う糸で縫いなおすということです。縫いなおせば柄も変わります。

 感情を縫いなおすのですから、針のその一刺し一刺しが、ちりちりと、ずきずきと痛むにちがいありません。被災地外の場所で、個々のわたしたちがしなければならないことは、まずはそういう語りなおしの過程に思いをはせつづけること、出来事の「記念」ではなく、きつい痛みをともなう癒えのプロセスを、そのプロセスとおなじく区切りなく「祈念」しつづけることだろうと思います。
(鷲田清一『語りきれないこと 危機と傷みの哲学 』(角川oneテーマ21)、角川学芸出版、2012)より